ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

タスク管理をしていない人への態度

もしかしたら無意識に上から目線?

反省しいしい申し上げるのですが、いくら謙虚になろうと思っても、タスク管理をしていない人に対しては「何でタスク管理しないの?」と、ある種蔑みにも似た目で見てしまうことがあります。そういう言い回しでワザと煽る方法もあるのでしょうが、私は煽るつもりはありません。もしかしたら、自分が上から目線になっている可能性があるということに、はたと気が付きました。

 

とは言え、自分がタスク管理を始めるようになって得たものはとても大きかったのも事実です。それを知っている人は知らない人に対して「なぜ知らないのか」「なぜ実践しないのか」と思うのも、ごく自然なことだと思います。

 

本来は何も変わっていない

よく考えなければいけないのは、自分が変わったわけではないということ。目的地までたどり着くために、車種が変わったわけではないんですよね。より無駄のない道順で行くことができるカーナビを付けたに過ぎない。乗っている車のスペックは何も変わらないわけです。

 

道案内程度の協力

例えば、一緒に目的地に行くには、先導して「この道順で行こうよ」と言うことはできます。ただ、「ちょっと寄り道して行きたい」と言う相手には、自分たちの乗っている車の道順を強要はできないですね。「途中でコンビニに寄って少し休息しながら行きたい」と思っているのに「絶対この道がいいんだって!」と強引に連れて行かれるのは遠慮したいですよね。

 

強要はしていないにしても…

タスク管理を他人に強要はしていない自信はあるのですが、タスク管理やればいいのに…と考えなかったといえば嘘になります。ちょっと頭をよぎった程度に過ぎなくても、表情や態度に出たりしますね。自分の信条を確固として保ちつつ、それを他人に強要しない。これからの自分にとって大切なものなのではないかと思いました。

タスク管理をいっときやめてみた

興味本位でやめてみた

試しに自分がタスク管理を今やめてみたらどうなるのか試してみました。というのも、昼休みの前がとても忙しくて、ノートに書き出す気も起きないくらいだったからです。

 

忘れる!という不安

そうした結果「忘れてしまう!」という不安でいっぱいになりました。何かに書き出したり入力しないといけない!という強迫観念が私につきまといました。

 

メモにも何も書かずに 業務タスクをそのままにしているのは、私にとってはありえないことです。いつ自分がその業務タスクを忘れるかもしれない。それが大きな恐怖でした。

 

不安というアラート発動

引き受けた業務を忘れるかもしれない。いや、まず間違いなく忘れてしまう。そんな不安がそのまま自分へのアラートになりました。

 

これは、言い換えれば自分に入力をするようプログラムが搭載された証ではないかと思い、少し嬉しいです。

 

ただ、これをむやみやたらにやってしまうと、タスク管理不全でたちまち仕事がうまくいかなくなった、ということになってしまいかねません。

 

タスク管理をやるようになると、やるべき仕事を忘れてしまうかもしれないという状況で仕事をする恐怖はとても大きく感じられます。一方で、何にも書き出したりしないで仕事を進める人は結構いると思います。「忘れるかもしれない恐怖」にさらされていることに気が付かないのは、それはそれで凄いと思いますが、かなりリスキーですよね。

 

仕事に抜け漏れが起きるかもしれないというリスキーさをちゃんと感じることができ、軌道修正できるようにアラートが発動する仕組みを作ることができるのも、タスク管理の効能の1つだと感じています。

「もう今日はやらない」という選択

安心して先送りをする

発達障害やらその他の仕事がなかなかうまくいかなくて悩んでいる人の悩みの1つに先送りをしてしまうというものがあります。私にとっても、大きな克服すべき課題の1つでした。

 

先送り自体には、良し悪しはないんじゃないかなと思います。先送りをする状況によって、結果的に良し悪しがつくのだと思います。

 

悪い先送り

私がよく陥っていたのは、仕事をお願いされたのに、何だかわからなくて、それに手を付けるのが面倒くさくなるということです。

 

大抵、いつまでにどうしなきゃいけないとか、ゴールを明確にしないまま放置していました。それか、締切が2週間先とか遠い場合もそうでした。

 

例えば、2週間後に倉庫業者が引き取りに来る予定だから、対応よろしくねと言われたとします。

 

やり方としては、保管するための段ボールを用意して、いついつに業者が引き取りに来るからまとめて社内のどこそこに置いておくようにと社内告知をして、当日業者さんを案内して作業をしてもらうという段取りがあります。

 

まずはその段取りを明確にするのを面倒くさがる癖がありました。そして、社内メールを出すのも面倒、段ボールを確保するのも面倒、と面倒が重なり、「先だから今はいいや」と思って放置するんですね。ああ、昔の自分を段々鮮明に思い出してきましたよ(笑)

 

そして、引き取り日3日前くらいに「あれ、大丈夫?」とか言われて青くなるわけです。こんな風に、ただ面倒くさがって着手しないというのが悪い先送りです。

 

良い先送り

ある日、仕事がひと段落すると、定時までの残り時間が半端なときがあります。やることはあるけど、今日やる必要はない仕事ばかりであれば、思い切って「今日は何もしない」と自分の心の中で決めます。

 

やることはあるけど、今日やる必要はないと分かっているところがミソです。さらに、それらがいつまで何をしなければいけないのかが分かっていると、もうこれはいつでも良い先送りができる状態です。

 

乱暴な言い方ですが、会社員は定時内であれば、何もしなくても給料が発生します。であれば、自分の身体と相談して、「なんか疲れたなぁ……」となれば適宜休憩をとって良い。そうやって、日々の仕事をそれ以後も継続可能にするわけですね。

 

そのために、安心して先送りをする「もう今日はやらない」ということが大事になってきます。これは会社員の特権ですかね。

「臨機応変」にだまされてはいけない

臨機応変」はNGワード

臨機応変という言葉は、最後の手段だと思うんですね。話の流れでどうしても使わなければいけない場合はともかく、この言葉しか使えない時は、相当危ない時だと思っています。

 

臨機応変は準備不足の言い換え?

やるべき仕事がどんどん入ってくることを言い訳にして、これからすべきことの準備をないがしろにした経験、ありませんか。私はとってもあります(笑)徒手空拳で会議に参加して、散々な目に遭って凹まされたこと数知れず。

 

ジャズのアドリブなどは、あれはしっかりとした理論を学んだ上で構築されるものであって、何もないところからは生まれないんですよね。

 

私はクラリネットを趣味で吹いており、ジャズにも多少興味があり、挑戦したことがあります。しかし、いざ楽譜のない部分、つまりアドリブ部分に入ると、それはもう目も当てられない状態になります。何をどう吹いていいのか分からないんですね。

 

その瞬間を支配しているのはコード(和音)であって、それに沿った音型を演奏しないと、ただの間違った音になってしまいます。楽譜がないのに、正しい音と間違った音が存在するんです。

 

勇気を出して「ピ」とか「ポゥ」とか音を出しても、ジャズじゃなくて騒音にしかならないんです。ああ怖い。

 

それはセンスとか曖昧な言葉で片付けられてしまうこともありますが、やはりジャズの音楽理論を勉強してからでないとアドリブは吹けないのです。

 

仕事の「準備」

仕事でも同じく、やるべき仕事の目的を見極め、それらをどのように遂行していくか、そういった仕事が自分にはどれくらいあるのかが分かるリスト等を整備することを怠る人は多いのではないかと思います。「臨機応変にやるから大丈夫」という言葉でごまかしてはいけない。やれないんです。しっかり準備しているから、アドリブがきくわけです。

 

とは言え、自分には経験があるから、臨機応変な対応はできる、と思っている人は多いと思います。ここがとても不思議なんですね。ジャズだとまずはアドリブの勉強をしてからじゃないとまずは舞台に立てないのに、仕事だと何とかなると思ってしまう。

 

では、事前準備として何をすればよいのか。それを司るのがタスク管理です。「その仕事の目的は何か」「どういう段取りで進めるのか」ということを明確にして可視化する。真の意味の「臨機応変」は、この事前準備をして初めてできるものではないかと、最近思うようになりました。

「忙しい」人は楽かもしれない

忙しいのは辛いのか?

「はー忙しい!」と言っている時、その忙しさに充実感を覚えていたりしませんか。忙しくなくても辛い時は辛いし、むしろ忙しい時の方が生き生きしている人を多く見るような気がします。忙しいのは辛いとは限らない。

 

「忙しい」は「甘え」?

多くの人にとって、タスク管理の方法論「処理」「整理」「レビュー」を行い、何をしたらいいかよくわからない仕事を一つ一つ意識して定義してから取り組むより、急にふってきた仕事や緊急の用件に追われていたほうがラクではないかと思います。

 

ストレートな言い方になりますが、仕事に忙殺されるのは簡単なんです。その緊急案件とやらだけ一生懸命取り組んでいれば、他の仕事の納期に多少遅れが生じても見逃してもらえると思い込んでいるわけです。未処理のことや雑多な仕事がデスクの上やメールの受信箱、頭の中にあふれている状態ではとくにそう考えてしまっていました。

 

今目の前にある仕事に「全力で頑張っております!必死の思いで取り組んでおります!」というオーラを出されては、いくら他に締切が迫っている仕事があっても、周囲の人は注意しづらいですよね。

 

本当に戦っている人

見た目で忙しそうにしている人は、ともすれば「忙しさ感」を出すことで、多少の仕事の遅れを許してもらおうとしている。極端な話ですが、そう思われても仕方がないんじゃないかと思っています。もちろん、そうでない人もいて、傍目から見て明らかに忙しいのが分かり、他にも色々やらなきゃいけないと強く思っているのににっちもさっちも行かない、という光景もありますが。

 

それよりも、というか、見逃されがちなのが、しっかり納期を守って確実に仕事をこなしている人です。粛々と仕事をしていますが、当人の中では熱い戦いがあり、もしかしたら本来なら2日かかることを4時間で終わらせていたり、というのもあるかもしれません。ただ、見た目には何もアピール性がないので、周りからは「この人頑張ってる!」と思われないのです。

 

会社に1人はいるであろう、いつも静かに仕事をしていて時間がきたらさっさと帰る人。このような人は日の目を浴びない存在になりがちですが、注目すべきなのかもしれません。

やることリストより今やらなくてもいいことリスト

いい人が陥りがちな適応障害

昔自分もそうだったんですが、より環境に合わせようとする人。これはとても本人にとって危ないです。いい人なので、周りからは歓迎されます。しかし、適応障害を起こしやすい。

 

適応障害とは「ストレス因により引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」なのだそうです。

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 周りの期待に沿うよう頑張るけど、その変化に合わせることができずに適応障害に陥ってしまう、というのが私の状態でした。「ちょっといい?」という割り込み仕事にも即対応するのが正しいことだと思ってしまい、処理しきれないほどの仕事をいつの間にか抱えてしまうのです。

 

適応障害脱出はいい人でなくなること

そこまでして周りのために「いい人」 でいる必要があるか。ないですね。

 

何が危ないかというと、割り込み仕事に対応し過ぎるというのがまず危ない。言い換えれば、やたら目移りして、結局完了すべき仕事が終わらせられないということになりかねません。

 

そのような人は、話しかけるなオーラを出す必要があるのではないかと思います。これ、もともと適応障害の傾向持ちの人にとっては難しいんですよね。いい人にとって、周囲の期待を無下にするんですから。

 

それでもやらないと自分が壊れてしまうので、あえて悪い人になることが必要です。

 

悪い人になるための仕事術

つまるところ、周囲に振り回されずに自分のペースでどれだけやれるか、ということなんだと思います。そして、それを下支えするのは、自分のやっていることにどれだけ確信が持てるかです。周囲の期待に反してもなお平然としていられるのは、それでも自分のやっていることは正しいと自分に思い込ませる必要があるわけです。

 

そこで、まずは自分のやるべき仕事を可視化して把握することが大事になります。自分はこれを今やっていて、それは間違っていない!と勇気付けてくれる仕組みです。

 

今やるべきことを可視化してくれるのがタスク管理「GTD」と、それを運用するツールです。私でいうと、自分で作ったエクセルのタスク管理ツールが「あなたはこの仕事をやっていて、それは正しいです。他の仕事をやらなきゃいけない状態ではありません」と言ってくれているありがたい存在です。

 

同時に、それはむしろ「やるべきこと」ではなく「今やらなくてもいいこと」の可視化という機能なのかもしれないという感覚があります。

 

言い換えると「あなたはこれだけやることがあります」ではなく「あなたの抱えるタスクはこれだけありますが、これとこれとこれは今やる必要がありません」と伝えてくれることも、私のタスク管理ツールは教えてくれているのではないかと。

 

気分的にも、これをやるべき、よりもこれはやらなくていい、の方が落ち着いて「オーケー、じゃあとりかかろう」と言えるんじゃないかと思います。

 

GTD本では「信頼できるシステムに全タスクを預ける」ことが大事だと書いてあります。私はこのツールに全幅の信頼を置いています。信頼できる存在から「これはまだやらなくていいよ」というメッセージがあるのは、とても嬉しいことなのかもしれません。

タスク管理実践時のジレンマ

タスク管理の効能「定時退社」

タスク管理が軌道に乗ると、短時間でより多くの仕事を完了することができるようになります。

 

すると、早く帰ることができるようになります。どうしても時間外に設定される会議はしょうがないとして、自分がコントロールできる範囲内であれば、ほぼ定時に上がることができています。これは、タスク管理より前とタスク管理以後とでの、私の大きな違いです。

 

本当に効能なのか?

とはいえ、傍目から見れば、周りより早く帰っているだけですね。「あいつ早く帰っているからもしかしたら仕事少ないんじゃね?」とか思われてもおかしくはない。

 

自分でも「自分だけ何らかの配慮がされて仕事が少なくて、だから早く帰ることができているんじゃなかろうか?」と思う時があるくらいです。もちろん、そんな配慮がされる理由は無く、普通に一社員として周りと同じく仕事を請け負ってやっています。

 

そんなだからか、口には出しませんが「あいつ余裕ありそうだから、新しい仕事を任せよう」となるのは自然な流れかと。

 

これは本当は喜ぶべきことですよね。つまるところ、仕事ぶり(仕事のしなさぶり?)を評価してもらって、別の仕事も任される。サラリーマンとして嫌な気分ではないはず。

 

でも、「せっかく今の仕事量で早上がりを達成しているのに、なぜ余計に負荷をかけてくるのか!?」と考えるタスク管理実践者もいるはず。

 

私の苦い体験

私は昔、新しく仕事を任されるのが嬉しくてしょうがありませんでした。そして、ホイホイ引き受けて自滅した経験があります。そんなトラウマから、新たな業務を課されそうになると拒否したくなってしまいます。

 

公私ともに多大な迷惑をかけてしまったこともあり、自分のキャパシティには相当懐疑的にならざるを得ませんでした。

 

世知辛い世の中

さらに「毎月定額で使いたい放題のサービスは?」「会社員」という笑い話のようなことが現在はまかり通っていますね。仕事の負荷や量が増えても給料がそんなに上がらないのに、嬉々としてさらなる業務負荷を求める人がどこにいるのかと。

 

ということで悩み中

じゃあ、わざと効率を下げて、残業をして「ヒーヒー言いながらも頑張ってます」感を演出するか?いえいえ、ご冗談を(笑)

 

タスク管理ツールに書いてある今抱えている業務を見せて、「こんなに今やっているから、新たに仕事を引き受けるのは無理です」と言い切るしかないのか?それにしても、「いや、君なら大丈夫だ。よろしく」などと根拠の無い励ましをされて、逆に押し付けられるようになってしまうような気もします。

 

結局このジレンマはずっとついて回るので、「職場はタスク管理の実験場」と考えて、タスク管理のレベル上げに勤しむことが、私にとって今のところの最適解なのではないかと思っています。