ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「自分の弱点を受け入れる」とはどういうことか

以前の更新で、このようなことを書きました。

 

毎日出勤できる程度の体力と気力があり、自分の弱点を受け入れる覚悟があり、現状を変えたいという強い意思あるいは強烈な危機感があれば、十分戦える

 

この中の、特に「自分の弱点を受け入れる覚悟」について、理解されきっていないような気がします。より詳しく説明したいと思います。

 

あくまで私の例でしか説明できませんが「やるべき仕事が発生したら、面倒臭がらずに必ず書き留められるかどうか」に集約されると思ってます。

 

自分は書き留めておかないと忘れるという強い強迫観念のようなものが、タスク管理ツールに入力するよう自分を駆り立てていました。

 

自分の弱点を受け入れていなければどうなるのか。

 

「いちいち入力するのが面倒臭いな。入力しないでも覚えていられるよ、きっと。」と勝手に判断して入力せずにその仕事を始める。そして、割り込みの仕事が入り、元の仕事を忘れる。

 

自分なら多分こんな展開になると思われます。

 

「自分の弱点を受け入れる」とは、この例で言うと面倒臭いから入力したくないという気持ちをいかに潰せるかです。

 

「自分を受け入れる」という言葉からは、何か外部からのアクションに対してとりあえず許せば良いというような、受動的なイメージがあります。

 

「自分は忘れやすいんだ。段取り組むのが苦手なんだ・整理整頓ができないんだ。」と言っているだけでは足りません。その認識は重要なんですが、そこに留まっていては、誰かが手取り足取り助けてくれるのを待っているだけになってしまいます。

 

この例で言うと、どんなことがあっても仕事に着手する前にタスク管理ツールに入力するということを徹底できるかが、自分の弱点を受け入れたかどうかの基準になります。

 

つまり、自分の弱点を受け入れるとは、日常的に発生し続ける、とても能動的で、油断したらすぐにできなくなってしまうものだと私は考えています。

 

今でも、突然発生する割り込み仕事に対して、ツールに入力するのが面倒臭くて、仕事を完了させてからツールに入力したりすることがあります。私も、日々「自分の弱さを受け入れられるか」という問題と戦っています。

 

自分の弱さを受け入れるというのは、「受け入れました!」「はい終わり!」という一過性のものではなく、ずっとモグラ叩きをやっているような、継続的な行動が必要な、極めてアクティブなものだと思います。