話して、聞いて、忘れるまでがワンセット
ラジオが大好き
私は小さい頃からラジオが好きでして、「三宅裕司のヤングパラダイス」「さだまさしのセイ!ヤング!」に始まり、コサキン(小堺一機・関根勤)にハマり、現在も伊集院光の番組をずっと聴き続けています。
今年始まったTBSラジオの「伊集院光とラジオと」のゲストコーナー「伊集院光とラジオとゲストと」、伊集院さんの高い対談能力のおかげで毎回素晴らしい内容です。
先日も、言語学者の外山滋比古さんが印象深い話をされていました。
言語というものは話し言葉。後発的に文字にして保存するようになったが、本来は言語は「話して」「聞いて」「忘れる」もの。
伊集院さんが「言語学者の先生が忘れるまでセットなんて言うんですね」と答え、
だって、忘れなきゃ、頭の中に全部入れてたら頭パンクしちゃいますから、適当に忘れる(ようになっている)(笑)
とのお茶目な回答。
「文法を守ったり、正しい言葉遣いをしたりすることが言語学者の先生の言うべきことなんじゃ…」と伊集院さんが話し出すと言下に「ない」とはっきり否定。
間違えるにしてもよろしいし、忘れてもよろしいし、結局、新しいことを考えて言える、これが大前提。
これを新進気鋭の学者ではなく、齢90を超えた御大がおっしゃるところに、圧倒的な説得力がありました。
人は忘れるもの!忘れて良し!
話の本旨は、話し言葉と書きとめられた文字の比較という脈絡でしたが、このひとくさりがとてもGTDと共通するなと思い、ニヤニヤしてしまいました。
人間の脳は、基本的には忘れるようにできているんだなと安心(?)しました。そして、脳の大事な役割は、記憶することではなく新しいことを考え出すことだということも、頷けます。GTDは外山さんの言っていることとぴったり合っている。
むしろ覚えている方が異常
発達障害者の特徴の1つに「短期記憶が苦手」というものがあります。これは発達障害であるかどうかに関わらず、苦手な人は多いでしょう。外山さんによれば、それは正常なんです。むしろ、覚えていなきゃいけないと要求する方が異常なんだと。
現実は「異常」が「日常」
でも実際には、その異常性を日常的に求められてしまっている気がします。会社で仕事をしていたりすると「それは忘れた」と言えば、きっとお叱りが飛んできますね。
必要な時に必要な情報が即座に取り出せるためには、覚えておかなければいけない。そんな指示・教育があるようです。
でも、それって正しいのか?と思います。
脳の得意な役割は「記憶」なのか?
外山さんの言うように、脳は記憶するためだけにあるのではなくて、既知の情報を組み合わせて新しいことを考える「創造」がメインの役割なのではないかと思います。
こうなると、GTDの出番です。
GTDは脳の補助機能を持っている
GTDの開祖デビッド・アレンは、脳に記憶というものをなるべくさせず、できるだけ情報の保存は外部の媒体にさせるべしという話をしています。つまり、GTDが脳の記憶という役割を補助する、ということです。
こうすることで、安心して忘れることができますね。見事なアシストです。
もちろん、情報の取り出しに時間がかかってしまうような物に記録させてしまっては支障をきたします。
そこで、「だから頭で覚える」のではなく「だから早く取り出せるシステムに情報を預ける」と考えるのがGTD。私はこちらの考え方が自然でリスクも少ないので得策だと思います。
GTDの恩恵は誰のもの?
外山さんの話からすると、人間なら皆このようなアシストが必要になる、ということになりますね。
つまり、GTDなどのタスク管理は、何もデキるビジネスパーソンがウェーイとなる仕事術ではない、人間誰しもが持っている特性に根ざした極めて現実的な「誰しもが普通に仕事をやっていけるようになる」ための仕事術ではないかと考えています。
外山さんと伊集院さんの漫才
余談ですが、外山さん、かなり達観されていてユーモアもある方のようで。
書き言葉には本当のこと以外がどうしても入ってきてしまうという話の中で、伊集院さんと、
「小説家はウソばっか書いてるよねアレ(笑)」
「そういう仕事です!」
という、ボケとツッコミのやりとりをされていました。お茶目なおじいちゃんって可愛いですね(笑)