ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「やっぱりおれはダメなのか」から立ち直る

挫折の大中小

「挫折がない人生なんて面白くない」「挫折を経験した人は成長する」、割と本気で思っています。挫折と言っても小さなものから大きなものまでありますね。小さなものなら、走ったけど電車に間に合わなかったとか。中くらいのものは、好きな人に振られたとか大学受験に失敗して浪人したとか。

 

大挫折って何でしょうか。私の感覚では、仕事が上手くいかなくて会社に行くことができなくなり休職を余儀なくされた時です。これから自分はどうやってこの社会で生きていけばいいのか、全く自信が持てなくなりました。

 

大挫折と中挫折の違い

では、大と中の違いは何か。それは、考え方を変えなければ立ち行かなくなるかどうかだと思います。特に2度目に休職した時は「やっぱり自分はダメなのか」と深く深く落ち込みました。それまでの自分の生き方が否定されるような、そんな感じがしました。

 

考え方を変えるとは

結果、タスク管理を実践することで考え方を変えることに奇しくも成功したわけなんですが、それは「自分を過信しない」ということに尽きます。自分を信じないというのは、自信をなくすということと同義ではありません。自分の思い込みによる自信をなくすこと、自分ができないことを改めて徹底的に把握することです。これ、なかなか意図的にやろうとしてもできるものではありません。無意識にそうせざるをえないような、そんな状況に追い込まれたから、私はできたのかもしれません。

 

タスク管理をすることの意味

そんな状況下で、自分を過信せずに仕事をこなす方法論であるタスク管理を知り、タイミング良く社会復帰ができました。

 

タスク管理は、その言葉やネットで紹介されているような、ただ単に意識高い系がやっている流行りの仕事術、小手先のテクニック、そんなものではありません。自分の考え方に直結する、とても観念的、根本的な哲学のようなものが根底には流れています。タスク管理をするというのは、自分の思考をそういった哲学に照らして再考し、考え方・捉え方を変えることだったんだと実感しています。

 

GTDを実践している人が、GTDの開祖デビッド・アレンの本を聖書と言ったりしているのは、決して比喩だけではありません。自分の信念、考え方の指針をその本に求めているんですね。そういう構図は、その宗教の信者と教典の関係に近いのかもしれません。

 

タスク管理がダメな自分を変えた

考え方と行動は密接に結びついているので、考え方が変われば行動が変わり、人が変わります。GTDの持つ考え方の枠組みは、私にとって公私ともに生活のあらゆる場面で欠かせないものとなりました。

 

表層に表れる「タスク処理フロー」がGTDの本質ではありません。この「考え方を変える」仕組みこそが、自分を大挫折から救ってくれたものであり、今でもあらゆる問題に対してとるべき姿勢や捉え方の枠組みを示してくれるものになっています。

 

うーん、タスク管理をここまで言うとひきますかね?

 

でも、絶望のどん底にいた自分を変えてくれたのは他ならぬGTDであることは紛れもない事実です。