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ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

モチベーションの本質

「やりたい」という気持ち

モチベーションは、一言で言うと「やりたい」という気持ちでしょうか。これがしたくてたまらない!とやり始めた仕事が、実は面倒臭いことがわかってだんだん億劫になる、なんてことはよくありそうな話ですよね。

 

徒然草では「人の心は移ろいやすし」と書かれています。今も昔も、いつ何時自分の興味が変わるか分かりません。5分前にやりたいと思っていたことも、今はまったくやりたくないと思っていたりします。

 

やりたいという気持ちは、モチベーションであることには変わりありませんが、こと「仕事への」という接頭辞がつくと、ちょっと慎重に考えなければなりません。

 

よりどころにすべきモチベーションとは?

常に自分のやりたいことがある!というモチベーション像は、長期的に物事に取り組むにはちょっと危険だと思います。

 

では、そういった場合に我々が「モチベーション」と認識すべきものは何か。それは、「やってもいいかな」というレベルのものだと考えます。

 

「やってもいいかな」が現れるとき

一見後ろ向きで控えめに見える、そして、実際そうなんですが、そんなモチベーションが現れるときは決まって「できそうなとき」です。

 

では、その「できそうな」状況に身を置くにはどうしたらよいか。

 

一番簡単なのは、しっかり睡眠をとって起きた朝一番のフレッシュな頭でやること。あるいは、時間帯によって自分がどういう作業をやれるかを知り、その傾向通りに1日の仕事の計画を立てることかと。小学生の「夏休みの生活」での1日の時間円グラフのイメージです。

 

さらに私が重要だと考えるのは、できなさそうな物事を目の前からなくすことであり、タスク管理手法の中の1つ「タスクの分解」で砕きに砕きまくることです。

 

つまりモチベーションの本質とは…

結局、物事を遂行する意欲というのは、自分が「モチベーションあげるぞーい!」と力んで上がるものではなく、自分の周囲をしかるべき環境にすれば自然にできてしまうという状態が、上記の「控えめなモチベーション」の本質ではないかと考えています。

 

そして、それとは別に「自分はこれがやりたい!」と積極的に思うものへの意欲「イケイケなモチベーション」は、オマケのようなものと考えたほうがいいんじゃないかと考えています。その恩恵は大いに享受しつつも、それありきで計画を立てない方が良いかと思います。

 

こうして、日常的な「控えめなモチベーション」と、ときおり発生する「イケイケなモチベーション」を意識することで、不要な自分への期待を排除して、安定したアウトプットを出し続けていけるんじゃないかと考えています。