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「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

タスク管理を恐れる人たち

タスク管理を拒否する原因
タスク管理に対して、どうしても一定の拒否反応が起こります。これには、2つ原因があります。

 

1つ目は、「タスク管理」を知らず、知らないことにはとりあえず拒否するという、人間の本質的な性質によるもの。

 

2つ目は、タスク管理について知っている、あるいは本能的に察知しているが、自分のやっていることがタスク管理によって白日の下にさらされ、「結局自分は大したことはやっていなかった」と分かってしまうのが怖いというもの。

 

2つ目は、先日呑んでいた時に、友人から指摘してもらったことです。私にとっては思いもよらぬものでしたので、なるほど!と思いました。

 

タスク管理実践者の思い込み
タスク管理マニアの間では、タスク管理のイメージはともかく、その効能が理解されれば、皆諸手を上げて取り組むものだと思っている傾向があるかと思います。つまり、「タスク」という言葉の持つ違和感と、「管理」という言葉から受ける、ネガティブな印象をクリアすれば、タスク管理を一般に広く流布できるものであると。

 

生産性を上げたくない人はいるのか
自分の仕事の生産性を上げたくない人がいるか?という問いには、NOと答える人が殆どだと思います。みんな、自分の仕事の効率やアウトプットの質等は向上させたい。

 

しかし、その一方で、明らかに生産性を上げることがわかっているのに、タスク管理をかたくなに拒む人たちもいるようなんですね。それは、ただ「タスク管理がとっつきにくいから」「タスク管理自体にかかる時間がもったいない、その手間が面倒くさいから」ではなく。それが、白日の下にさらされる恐怖なのでしょう。

 

業務所要時間の見積もりのズレ
よくある話が、自分がこの仕事をやるとしたら何時間、何分かかるだろうと見積もると、大抵見積時間よりも実際の所要時間が上回るというものです。それくらい、自分の業務スピードを過大評価しているというわけです。

 

GTDと時間
私が実践しているタスク管理「GTD」では、各タスクの遂行にかかる時間を記録して、それを元に計画を立てていくという側面はほぼありません。やるべきタスクを洗い出して、それらの目的を明確に把握し、確実に実行するということに焦点を絞っています。したがって、「この書類を作るのに30分と見積もっていたけど、1時間半もかかってしまった」などと肩を落とすことはありません。

 

しかし、一日いくつのタスクをこなしたかを調べてみると、案外少ないのです。これにはカラクリがありまして、あるタスクの一部をその日のうち1時間に充てただけだと、その日こなしたタスク数としてカウントされないのです。だから、完了タスク数として出てくる数字よりも多くのことをやっているのですが、それにしても、自分はこの程度なのかと思うことはあります。

 

タスク管理は「自分を受け入れる覚悟」を要求する
冒頭の「タスク管理によって自分の生産性の低さを白日の下にさらされるのが嫌な人」は、ある意味自分のファンタジーの中にいたい人なのかもしれません。意地悪な言い方をすれば、時間だけ浪費して「仕事してる風」な自己演出をして、それに満足してしまうという状態かと。

 

そこにタスク管理は現実を突きつけます。しかし、現実なだけに「自分はこの程度なんだ」と、そこでやっと自分のなんたるかを知り、そこから再スタートを切ることができる、と考えると、タスク管理はとても良いコーチなのではないでしょうか。

 

タスク管理は怖くない(笑)
今後は、時間だけで価値を評価されることから、時間当たりの生産性で評価されるようになってくるので、いち早くその流れにのっていけるように、今のうちに本当の自分の実力を知るのも良いのではないかと思います。タスク管理は、そんな自分の実力を知る良い手段であり、さらには、そこから這い上がる方向性も指示してくれる存在になります。怖がる必要はありません。むしろ、そういった自己変化を起こさずにいる方がよっぽど怖い、と言えるのではないでしょうか。