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ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

成果主義を怖がらなくなった

「結果を出せ!」「ヒィィ…」

成果主義は無情だ、冷たいというイメージは割と根強くあると思います。成果も大事だけど、それまでの過程の努力を評価すべきだと思っていました。

 

成果主義が怖くなくなる

成果を挙げるというのは、その仕事を完了させることとほぼ同義だと思います。つまり仕事は完了させなければ評価しないというのが成果主義ですね。タスク管理を実践するうちに、この成果主義が腹落ちするようになってきました。タスク管理「GTD」の教科書的な本が「仕事を成し遂げる技術」なので、そもそも成し遂げることが前提となります。過程での努力か結果のどちらか、という認識がなくなります。

 

成果主義を怖がっていた理由

なぜあんなに怖がっていたのだろうかと思い返すと、まずは結果を定義できていなかったからだと考えます。例えば、「社内を美化する」という曖昧な表現ではなく「給湯室の冷蔵庫の中から持ち主不明の物をなくす」「定期的に間全員で掃除をする」「非常階段にある荷物をなくす」といった、具体的で実行方法がすぐに思いつくような表現にする、ということです。

 

次に、定義された結果を前提として、結果を出すための具体的な方法が自由に決められることです。冷蔵庫の例だと、24時間ずっと持ち主不明のジュースが放置されることがないか見張っていないと本当の美化はされない、なんて言われないように、「週に1回、冷蔵庫内の無記名の物を問答無用で捨てる」という方法を決めて実行する、と決めて社内の理解が得られれば、それ以外はしなくていいわけです。そうできる自由があります。

 

成果よりも過程の努力を大切にするとなると、下手したら「おい、冷蔵庫に無記名のジュースがあるぞ!」と言われた瞬間に努力している姿勢なしとして、経営者の機嫌によっては評価されないということになりかねません。

 

タスク管理によるフレームワーク

このように、タスク管理で重要な「目的を明確に定義」「目的達成までの段取り(過程)を具体的にする」を念頭に置けば、むしろ過程の努力とか姿勢とかを重視する考え方は余計なものと考えるようになるかと思います。「オマエ、頑張っているか!」「ハイ!全力で頑張っております!」「よし!」といった、安易な根性論です。

 

結果に結びつかないとき

とはいえ、残念ながら結果に結びつかないことはありますよね。それでも「本来であれば結果に結びつくであろう経過」が具体的に説明できることで、「ならばしょうがない」と理解を得られることもあることでしょう。ただ頑張りましただけ言っていては、これすら不可能ですね。

 

成果主義は、一見すると冷たい印象がありますが、よくよく考えると、対象者に無理を強いない、自由度の高い考え方なんじゃないかと、最近思っています。