「働かざるもの」は働きたくないわけではない
吸い込まれるように読了
読み始めたら止まらなくなりました。
支援を受けられぬまま死んでいったある発達障害者についての述懐 https://t.co/NBl1NKEs0k
— F太 (@fta7) 2017年4月23日
読んだその日、一日この話の影響下に置かれました。感想がこちらです。
「働かざるもの食うべからず」は正しい。だが、「働きたくても働けない人」も「働かざるもの」のカテゴリーに入ってしまう。
— 小鳥遊 (@nasiken) 2017年4月23日
文中の伯父さんにはもう聞けないが、好き好んで酒浸りの引きこもり生活をしていたわけじゃないのではないか。そんな人に何かできることはなかったのか。
考えさせられます。 https://t.co/ZHD7redlWo
自分と二重写し
この話の中の「伯父さん」のように才気あるような感じではありませんでしたし、アル中ニートでもありませんでした。ただ、発達障害の診断を受けて、無職で実家にいて何もせずにいた期間があるという共通点があります。
働きたくても、働ける自信がないので働けないというのが、当時の私の心境でした。これは多分に自分自身を「もっとやれるはず」と実際よりも高く能力設定を勝手にして、達成できなくて落ち込んだ結果による自信喪失が原因だと考えています。
お酒を飲むと、気が大きくなります。そうなると「ええい、もうどうでもいいや!」という解放的な気持ちになります。会社に就職してからも、満足に働くことができていないという思いから、お酒の弱い私が、帰宅途中にビールを買い、家まで歩きながら飲んでいた時期がありました。自分の限界から目を背けたくてやっていたのだと思います。
それを笑いながら同僚に話したところ、目の色を変えてやめるよう強く言われました。その同僚は、話中の伯父さんと同じような人が親類にいらしたそうで、若くして亡くなったのだそうです。
そのときの自分とおなじく話中の伯父さんも、きっとじくじたる思いがあったのではないかと推測します。顔はヘラヘラしながらも、内心「自分はこんなはずじゃない。もっとちゃんとできるはず」と苦しんでいたはず。でなければ、身体を壊すまで酒浸りにならないでしょう。
救いの神
残念なことに、話中の伯父さんには救いの神は現れず亡くなってしまいました。一歩間違えたら自分もこの路線を歩んでいたかもしれないと思うと考え込んでしまいます。
自分はどこが伯父さんと違ったのかと考えたところ、理解ある周囲の人たちがいてくれたことが大きかったと思います。さらには、自分の特徴を認めて受け入れたこと、タスク管理に出会えたことが挙げられます。自分にとっての救いの神はこの3つのことです。
今は何気なく毎日を平穏に送っています。しかし、話中の伯父さんと共通した原体験があり、今の私の何らかのスイッチになっています。
先の3つの救いの神のうち、手っ取り早く自分で実行可能なのは3つ目のタスク管理です。伯父さん予備軍にタスク管理が役立つのであれば、やらない手はないです。救いの神という現実味のない表現より、支援と言うべきでしょうか。
自分がなぜここまでタスク管理にこだわっているのか、イベントまで起こしているのか。このあたりに源がありそうです。