ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「忙しい」は判断誤りの隠れみの

何のために忙しいのか
「まだ●●で消耗しているの?」という、人を小馬鹿にしたような言葉がブロガー界隈では有名ですね。言い方はともかく、自分の居場所、やっていることに対してあらためて疑問を持ってみることの必要性を感じさせてくれます。

 

忙しいだけではだめだ……。問題は、何のために忙しいのか、ということだ。__ヘンリー・デビッド・ソロー
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」)

 

人生の優先順位
1日は24時間、そして自分の寿命も有限ですね。限られた時間で何をするのかという選択をリアルに感じると、このソローの言葉はとても刺さります。自分に残された時間が有限であることを自覚していないときは、時間の無駄遣いをしてしまいがちです。

 

しかし、大病や大怪我などで人間いつかは寿命が尽きるということを身をもって体験した人は口々に、自分に残された時間を何に使うかを真剣に考えるようになると言います。「優先順位」という、特に仕事場では日常的に使う言葉が、ズシリと重く存在感をもってのしかかってきます。

 

「やるべきこと」ができない状況
それなのに、自分が本当にやるべきことをできず、些末なタスクに時間をとられてしまい、いっこうに優先順位の高いことができない、というのが得てして多いようです。人生の優先順位という高い次元の話でも、そして「今日、いまの仕事として、何に自分は取り組むべきか」という選択もままならないということがよくありますね。

 

記憶というものは、保存したものを、最新(時間的に)かつ最も目立つ(感情的に)という基準で取り出す傾向がある。これはどう考えても効果的なファイル検索システムだとはいえない。同じように、「やるべきこと」のリマインダーが行き当たりばったりのいい加減なものであれば(パソコンにポストイットを貼り付けたり、机に伝言メモを置いたり、椅子にメモを貼り付けたり)、忙しさにかまけて、ついいちばん簡単なことにとびつき、忙しいふりを続けることになる。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」)

「忙しさにかまけて、ついいちばん簡単なことにとびつき、忙しいふりをつづけることになる」は、耳が痛いですね。自分の頭の中だけでは、どうしても「重要だけど緊急でないこと」よりも「重要でないが緊急なこと」を優先してしまいます。場合によっては「重要でもないし緊急でもないこと」になぜか手を付けてしまっていることも往々にしてあります。その判断に(根拠もなく)自信を持っている人には、本当に大丈夫ですか?と言いたいです。

 

「自分の判断」を信用しない

本当にしなければいけないことを先送りにし続けてしまうのも、人生の最期に「ああ、やりたいように生きればよかった」と後悔するのも本質は同じです。自分の気分、その時の判断に頼っていたら、そうなってしまう可能性が高い。

 

そうならないように「やるべきこと」のリマインダーを行き当たりばったりいい加減なものではなく、「全ての『やるべきこと』の把握ができ」「目的が明確になっており」「具体的な行動に分解され落とし込まれた」リストを持っておくことが大事になるわけです。

そして、そのリストは、タスク管理メソッド”GTD"のフローに沿って作ることができます。上記で引用しているデビッド・アレンの著書名にある「仕事と人生をコントロールする」は、決して冗談ではないのですね。