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7つの習慣的GTDへの違和感(のきばトーク第49回)

7つの習慣的GTD
昨日に引き続き「のきばトーク第49回」についての記事です。

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番組の中で出てきた「7つの習慣的GTD」という言葉が印象に残りました。個人が行動する最上位の規範であり自分の使命とも言われる「ミッション・ステートメント」を達成するための方法論としてGTDを使うという文脈でした。

 

GTDの「目的」
GTDでは、その設定するタスク(あるいはその集積たる「プロジェクト」)の目的に制限はありません。「台所にある醤油を取ってくる」もタスクの目的としては大ありですし、「今年中に5キロ痩せる」も立派な目的です(達成可能かどうかは別として)。

 

つまり、どんな小さな目的も、そして大きな目的もGTDの対象になります。極端な話「世界から戦争をなくす」という目的もGTDでのタスク管理の対象になってしまいます。

 

違和感
GTDはとても良いフレームワークだと思っていますが、GTD本を読んでいて違和感を覚えるのが、この「大きな目的」への姿勢です。本では「高度が高い」と表現しています。どんなに高度が高い(大きな)目的であっても、それよりも下位のタスク、そのまた下のサブタスク……と分解していけばいずれ「具体的に実行可能なレベルの行動」へ落とし込むことができるというのです。

 

私はGTDによるタスク管理を広めることで、自分は要領が良くないのではないかと思っている人に、きちんと仕事がこなせるようになって欲しい、そういった流れを作りたいと常々考えています。

 

しかし、この目的をGTDのフローに乗せてタスクに分解して、ということをやったことがありません。書き出そうと思って書き出せないことはないでしょうが現実味が無いと感じます。もっと高度を落として「タスク管理を紹介するイベントを開催する」あたりであれば、GTDでタスク管理するのは違和感はありません。

 

GTDで夢を実現?

のきばトークの中でも「7つの習慣的GTD」に対しては諸手を挙げて賛成!という感じではありませんでした。私にとっても、あまり高度の高い目的(自分の使命とか、叶えたい夢など)を自分が毎日仕事で使っているタスク管理ツールに書き込む気にはなりません。

 

個人的には、自分の使命や夢などは、頭の中から追い出さずにふわふわさせておくのがいいんじゃないかと思っています。その中で、その夢などにつながるような動きが現実化したら、その現実化したタスク(あるいはプロジェクト)を書き出して管理すれば良いと考えています。なんとなくですが、自分の使命や夢を頭の中から追い出したら寂しくなっちゃうような気がしますので。