ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

30数年前のGTD

荷物を詰め込んだカバン
こちらの一節を読んだとき、小学生の頃の思い出が蘇りました。

リュックやカバンに大量の情報や資料を詰め込んで歩いている小学生を目にすると、私はいつも疑問に感じてしまう。この子たちは相変わらず「気になること」だけを押しつけられて、それを適切に処理する方法を教えられていないようだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」より)

 

私です。

 

厳密に言うと、小学生学期最終日の私です。

 

あまりにも忘れ物が多く、先生と両親との連絡帳には「今後、忘れ物はしないよう、しっかり言い聞かせます」という親のコメントがそこかしこにありました。しかも、肝心のその連絡帳を忘れるという体たらく。毎日何かしら忘れてきて、それでいて「ただいまぁ!」とご機嫌で帰宅する私を、親はどう思っていたのか。さぞ悩んだことでしょう。

 

アレンより早くGTD「収集」を実践?
学期中であれば翌日取りに行けば良いのですが、夏休み前などはそうはいきません。親はそのために私に策を授けました。

 

「机の中のものを全部入れて持ってこようか!」
「うん!(笑顔)」

 

そして、机の中にある教科書やノート、文房具、靴下の片方や体操着まで(!)全部をとにかく1つのカバンに入れて、重くなったカバンを一生懸命持って帰ったことは、今でも覚えています。「これを持って帰ったら、お母さんが褒めてくれる!」との思いで玄関を開け、予想通りに「重いのによく持ってきたねぇ!偉いねぇ!」と褒めてもらい、私はご満悦でした。

 

これ、GTDの「収集」ですよね。とにかく気にかかるものを全部一所に集める。約30年超前の出来事ですから、もしかしたらデビッド・アレンよりも先にGTDを実践していたのかもしれません。

 

スッキリ感
カバンに全部を詰めて帰った時、親に褒められた嬉しさと共に、通常では得られないようなスッキリ感がありました。これはある意味GTDが提唱する「水のように澄みきったこころ」なのではないかと、今思い返して実感しています。

 

思い出せば思い出すほど、当時の私の親の苦労が分かってきて、ああ!と頭を抱えたくなる「収集」の記憶です。