ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

タスク管理はこの先なくなるのか。

AIが浸透するにつれて我々の仕事がなくなっていくという話があります。ホワイトカラーの仕事、いわゆる事務職の仕事はほぼすべてAIに取って代わられるとのことです。うーん、じゃあ私が今会社員として行っている法務の仕事はなくなってしまいますね。それに対して「じゃあ、AIに取って代わられないような法務の業務を開拓しよう!」と考えられておりません。不良社員です。

 

ただ、私の主戦場は法務のオシゴトではなく、世にタスク管理を広めることだと考えております。そこで需要があればいいなと思います。お給料が出ず食っていけなくなるかもしれませんが、それはまた別の話。で、タスク管理はAIの台頭で不要になっていくのかというテーマが頭をよぎるのです。

 

私見ですが、タスク管理こそAIに取って代わられる代表なのかもしれないと思っています。つまり、タスク管理の必要性はじきになくなるかもしれない、ということです。

 

この文章を書き始めたときには、「それでもタスク管理はなくならない」という結論にしようと考えていたのです。しかし、書きながら「ちょっと待てよ......。タスク管理は大いにITによってシステム化されたのだから、それが進めば少なくともタスク管理ツールは、それこそタスク管理というものを意識せずに運用され極度に効率化され、人知れずアウトプットを人間に与えてくれるようになるのではないか」と考えました。

 

ただ、それで結論付けるのはまだ早いと思っています。タスク管理とは大きく分けて「タスク管理の考え方」と「それを実現するタスク管理ツール」となります。GTDでいうと5つのフローという原則が前者、todoistやタスクペディアなどが後者です。後者は、例えば頭の中に「これをやろう」と思い浮かんだだけで処理が進みそのタスクを完了させてしまうような、そんなスグレモノが出てくるかもしれません。しかし、前者の「タスク管理」という思考の枠組みを意識して人間が物事に取り組むのは、まだまだ続くのではないかと思います。

 

というのも、機械に任せられるものはできるだけ機械に任せて、本当に人間しかできないもの、各個々人が「やりたい」と思うような仕事が残るという未来があるなら、その「やりたいこと」に対して、それをどう取り扱うかという方法論は依然として必要であり続けると思うからです。

 

事務作業は機械が代替してくれても、「やりたいこと」にたいして何らかのアクションを人間はしなければならず、おそらくそれは人間がウンウン考えて進めるようなものだと思います。現代でも、例えば楽譜に印刷されている記号情報を読み取って音に出す、いわゆる「演奏」という行為であっても、求める演奏を達成するために練習メニューを組み立てていく必要があります。なんとなくで良い演奏ができるわけではありません。そこには、その曲の演奏に習熟していくための方法論があります。そういった方法論が不要な世界にならなければ、タスク管理もまた無くならないと考えます。

 

書きながら二転三転していますね。どうやら私の結論は、「タスク管理」という考え方・方法論自体は残る、タスク管理ツールは次第にもっと高度で効率的なものに取って代わられるというものになりそうです。

 

タスクペディアを広めようとしているのに悲しい結論ですが、ツールに左右されない世界こそ、タスク管理の面目躍如たる状況だと思います。それは楽しみでもあります。