ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「頭の片隅」は存在しない

「頭の片隅に置いといて」という台詞は成立しないと思っています。頭の片隅とはどこにあるのか。少なくとも、記憶をチョイ置きできて、しかも必要なときに持ち出せる便利な「頭の片隅」とやらは、私は持ち合わせていません。

自分が今やっていることに100パーセントのエネルギーを傾けるためには、それ以外のやりかけの仕事を意識的に処理してこくことが大切なのではないだろうか?それがある限り、今集中してやろうとしていることになんらかの影響を与えるからだ(しかもあまり良くない影響だ)。

他のことは頭の片隅にでもとりあえず置いておけばいいじゃないか、という人もいる。しかし、頭の片隅とはどういうところだろうか。そもそも頭の中は柵のようなもので区切ることができるものだろうか。その柵を越えて、今考えていること(そして集中すべきこと)に悪い影響を与える可能性はないのだろうか。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

 

タスク管理手法"GTD"は、とにかく自分の記憶力を信じません。GTDの開祖デビッド・アレンは、脳は情報の倉庫としては欠陥品だと言ってはばからないのです。「柵があるのだろうか?」などと真面目に書いていますが「無いよねー( ̄▽ ̄)」とニヤニヤしながら書いていたんじゃないかと推測しています。

 

つまり、覚えるか覚えないかしかないわけです。「頭の片隅に〜」という言い方が市民権を得ているので、覚えているのと覚えていないのとの中間みたいなシュレーディンガーの猫のような記憶状態を受け入れてしまっている感があります。そんな状態、ありえないですよね。

 

覚えるか覚えないかの二択となると、「覚えておく」という選択は極めて危険です。脳には忘れるという機能があるからです。したがって「覚えない」を選択し、脳の外に書き出すか、その情報を記録として捨てるかどちらかを選ばざるをえないということになります。

 

例えば上司などに「頭の片隅に置いといて」と言われたら、それは「ちょ、それどっちっすか?マジ意味わかんないんすけど(笑)」と言ってもいいくらい曖昧で不親切な指示です。そこをこちらでどっちなのかを明確にする必要があります。おそらく、未来にあるかもしれない、この情報が必要なタイミングのためにとって置いてね、という意味であることを尊重して紙に書き出して記録するも良し。「かしこまりました!」と元気よく返事して、次の瞬間には忘れて開き直るも良し。

 

いずれにしても「頭の片隅」は存在しないということを声を大にして言いたいのであります。