ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

信頼のおける人には嬉々として騙される

自分を騙す

タスク管理をしていて実感するのは、結局自分を体良く騙せたもの勝ちだなということです。タスク管理が私たちを騙してくれる方法は2つあります。

 

1つは、タスクの見た目の数を少なく見せること。もう1つは、単純な行動に細分化して、簡単だからできると思わせること。この2つの騙しが、私たちを前に進めてくれます。

 

 

目に入るタスク数を減らす

究極的には、自分がやると決めたタスクは全てやらねばならないのです。100個のタスクが目の前にあれば、100個のタスクに取り組まなければいけない。

 

「タスク管理をした」だけでは、そのタスクを完了することにはなりません。タスク管理は、その100あるタスクを一時的に目の前から見えなくして、一部分だけをとりあえずやれば良いと思わせるためにあります。

 

「自分がとりあえずやらなきゃいけないタスク、割と少なくね?」と思い込めたらしめたものです。私たち人間は単純なもので、できそうだと思ったら手をつけ始めます。

 

分解すれば完了できると「信じる」

そしてもう一つ。いくら総タスク数を一部見えなくしたとしても、見えているタスクがあまりにも大きく難しくて、とても完了できそうにないと感じられるときがあります。

 

そのために、大きくて難しいタスクを、実行が容易と感じられるサブタスク一つ一つへ細分化します。すると、「とりあえずこのサブタスクだけだったらできるかも」と自分に思わせてくれるのです。

 

「騙し」を下支えする大きな信頼

騙すという少々物騒な物言いをしましたが、私はそんな騙し屋のタスク管理にホイホイ釣られているわけです。しかし、そう易々と釣られるには理由があります。私が嬉々として騙されるためには、私からタスク管理への大きな信頼があります。だからこそ、騙されて本望なのです。

 

その大きな信頼は、何に対してなのか。タスク管理をする上での一丁目一番地、「自分が抱えるタスクを全て書き出す」というこの「全て」があるからこそ、私は全幅の信頼を置いて騙されるのです。

 

嘘も方便という言葉があります。人間でも、「この人は最後は裏切らない」と信頼できる人からのものであれば、自分のためを思ってつかれた嘘にも感謝できると、私は思っています。

 

私にとってタスク管理ツールは、そんな信頼のおける、しかも心憎い嘘で自分を後押ししてくれる存在のようなものであるとも言えます。

 

信頼のおける相手になら、騙されても一興かと。