ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「割り込みタスクこそ愛しい」という結論に至った話

リモートワーク始めました。

 

咳をしてもひとり

リモートワーク@自宅2日目です。1人で仕事をしていると、話しかけてくる同僚や上司がいないんです。

 

話しかけてくる同僚や上司がいないんです。

※大事なことなので2回言いました

 

これ、一見メリットだと思いますよね。たしかに、今のような週に1日程度なら、逆に丁度いいと思います。しかし、これが毎日だとしたら、ちょっと辛いです。

 

私の周りの魅力的な面々

私は、周りの社員の方々が基本的には好きです。お世辞抜きに良い人たちに恵まれたなと思っております。

声が大きく通るので隣の席の上司との相談内容が時々丸聞こえになってしまう労務担当

全体会議の司会を任されている、滑舌の悪い総務担当

「1/15」と書いてあるだけの付箋を見つけて「……はて?」と2月初旬に頭を抱える、会社プロジェクト進捗管理担当

真面目で、それぞれにちょっとずつ不器用で、だからこそ魅力のあるキャラクターが揃っています。

そんな人たちからの「申し訳ありませんが、ちょっとこれ、急でやってくれませんか?」と仕事の依頼がきたら、「しょうがないですねぇ!」と言いながら、ちょっとどこかで嬉しがっている自分がいます。

 

タスク管理で効率よく♪

タスク管理は、仕事の無駄をなくしてくれます。それは間違いなくいいことです。しかし、それが極まるとどうなるか。リモートワークをした所感から、無駄(同僚や上司から話しかけられるという割り込み)もまたアリだなぁ、というものです。

 

そもそも何のためにタスク管理で効率化を図らなければいけないのか。決まり切ったルーチンを短い時間でより多くこなすためだけなのか。

 

タスク管理はなんのため?

本質な話です。嫌な職場で、嫌な仕事を、できるだけ短時間で無駄なく終わらせて一刻も早く帰るため、というのがよくある話です。間違いではありません。

 

しかし、また違った形もあり得るのではないかと。

 

先日、ふとしたタイミングで「割り込みタスクこそ愛しいのかもしれない」という言葉が出てきました。私は、先に挙げた懲りない面々からの割り込みタスクをやる余裕を持つためにも、その他のタスクをさっさと片付けたり後回しにできるためにタスク管理をしているのかもしれません。

 

会社は労働者の時間を搾取するために、巧妙に作り上げられたシステムだという考え方があります。ある意味正解だと思います。しかし、そのシステム上でも「誰と一緒に、誰のために働くか」を意識して仕事タスクをこなすことは不可能ではないと思います。そして、タスク管理はその恩恵を最大化してくれるものだと実感しています。