ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

自分の可能性を諦めて始めた小さな行動が、大きなエネルギーの源に

ツイッター「ひらめきメモ」アカウントでお馴染みのF太さんのツイートで、特に深く腹落ちするものがありました。

 

全て準備万端整った!という状態でようやく覚悟が決まるということは、私の経験では、あまりありませんでした。

 

このツイートに書いたように、覚悟を決めることが、タスク管理を継続させているブースターの役割を果たしてくれたのではないかと。自分に可能性が見出せなくなって諦めまくった先にある、背水の陣的な何かが自分を衝き動かしている気がします。

 

そこで「じゃあみんなで背水の陣を張りましょうねー!」などと言うつもりはありません。無いなら無いでいいです。現在進行形で、望まない背水の陣を張りつつある方々にこそ有効なものだと思います。

 

私にとっては、GTDというタスク管理が「覚悟を決めてはじめるもの」でした。「あー、もう自分はなんてダメなんだ。」「いちいち仕事のことを書いておかなきゃ忘れてしまうなんて、自分ホント無能」などと考えつつ、悲嘆に暮れながらエクセルに業務タスクを入力していった覚えがあります。「ここまでしないといけないなんて、自分、落ちるところまで落ちたな...…」という悲壮感全開でした。

 

今、底つき体験をしている人がいたら、無理に抗おうとせず自分を諦めて、自然と覚悟が決まるのを待つのも有効かと。 

 

覚悟が決まったら人間は強い、という話はよく聞きます。自分でもそれはタスク管理"GTD"の習得と実践という形で実感しています。覚悟を決めた後の行動のデザイン、重要です。

 

覚悟を決めてはじめると言うと、何か劇的なきっかけがあって勇壮なファンファーレと共に開始するようなイメージがあるかもしれません。しかし私はそういうものだと思ってデザインしない方が良いのではないかと思っています。実際のところは、私の例のように、静かに始まることも大いにありえるからです。