ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

乗り越えられそうな課題を設定し続けることは、真摯に向き合っている証。

これ大事だ!と思いました。

 

特に、自分に対して乗り越えられそうな課題を設定し続けるという箇所。

 

「目標は大きく持て」に含まれる誤解

目標が大きいのは立派なことだと思います(大きくあらねばならぬ、というわけではありません)。ただし、目標の大きさと目の前に置くべき課題の大きさとは関係ないというのは声を大にして言いたい。むしろ、目標が大きければ大きいほど、目の前の課題は小さくした方が良いと感じます。

 

私は目標を大きく持つならば課題まで大きくあらねばならないと思っていました。大きさ10の目標に対して目の前にとりあえず置く課題が1だったとします。別の目標の大きさが100だったら、目の前の課題は1ではなく10でないといけない、と思い込んでいたのです。

 

目標は大きくても課題は小さく

私はかなりのワガママボディなので、ダイエットがここ20年くらいの目標となっています。何せ大学3,4年の2年間で20キロ近くスケールアップしてしまいましたので、これはもう健康に影響があるレベルであります。

 

そこで目標を10キロ減量としたりします。これがなかなか減らない。減るまで続けられない。一時期、心を病んで会社を休職していたときに近所のジムに行っていたことがありました。そのときは減りましたね。でも、復職したらすぐに戻りましたけれども。

 

そこで自分に課していた考え方は、こんな感じでした。

  • 1キロ減らすなら1日あたり10分も運動すれば良い
  • だが、10キロ減らすなら1日最低1時間は歩かないと!

 

ダイエット挫折経験のある方ならお分かりかと思います。自分に無理を強いているのは続かないんです(自分にとって1時間歩くのは無理カテゴリーに入ります)。

 

周囲の人にも、1日あたりの運動量を上げていくことを勧められました。応援のつもりで言ってもらっているのですが、正直プレッシャーなんですね。

 

「1日1時間歩くのなんて無理だ〜」

 

勝手に自分で壁の高さを上げて降参する。この繰り返しでした。

 

小さく課題を設定する勇気

この例でいえば、周囲に何を言われようとも1日10分を変えなければ、ダイエットが成功する確率は高かったと思っています(たられば、ですが)。

 

自分の内なる声からも「もっとやれ!もっと頑張れ!」というハッパをかけられます。その声に対してマイペースを保つ、目の前の課題をあえて小さく設定するのは勇気が必要です。

 

自分の内なる声に従うのが正義、逆らうのは悪です。そのときその限りにおいて、自分は悪にならないといけない。あえて悪になる勇気が必要になります。

 

大げさな話に聞こえるかもしれませんが、自分が乗り越えられそうな課題を設定し続けるのは、このくらいの覚悟がないとできないと思っています。

 

つまりそれは、タスクの分解

「自分が乗り越えられそうな課題を設定し続ける」を言い換えると、タスクという目標をサブタスク(日々の課題)へ分解するということになります。

 

GTDでは、ここで言う日々の課題を「次に取るべき具体的な行動」と定義しています。

  • 次に→「いつか」じゃない
  • 具体的な→やっている自分がイメージできる
  • 行動→実際の動き

ここに「自分が乗り越えられそうなレベルで課題を設定しよう」という強い意志が見られます。

 

タスクの分解が苦手という方、もしかしたら自分の内なる声に従いすぎているのかもしれません。もっと自分に反抗して、あえて「こんなんでいいの?」というくらい小さく刻むと良いかと。

 

最後に

自分が乗り越えられるレベルで課題を設定するのは根性なしだからではないと思います。課題を小さく設定できるのは、確実に目標へ進むための勇気の証であると考えます。

 

目標は大きくても良し。だが日々の課題までそれに引っ張られて大きくしてはいけない。

 

……などと偉そうに言っとりますが、私のワガママボディはもう少し続きそうです。