ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

自分の原点は「怒り」だと半沢直樹に気付かされた話。

私の本業以外での活動は、一言でいうとタスク管理で「自分は要領がよくないと思い込んでいる人」をサポートするというものです。

 

その原点は、障害者雇用の合同面接会です。

 

この合同面接会では、私が思うような求人はありませんでした。その求人とは、

 

  • ほぼ一般雇用と仕事内容が同じ
  • 給料もそんなに変わらない

 

というものでした。

 

障害者雇用は、会社側からの合理的配慮を受ける代わりに、給料は低く抑えられ、仕事内容も比較的定型化されたものであることが多いのです。

 

私は、合理的配慮は抑えてもらい、仕事内容に広がりがあり、障害者雇用と比べて)高めの給料をもらえるような求人を求めていました。

 

「じゃあ、小鳥遊さんは合理的配慮を少なく抑えた分、どうやってご自身で職場に適応するんですか?」と聞かれたら、当時の私はおそらく答えられなかったはずで、汗顔ものですが……。

 

とにもかくにも、その合同面接会の帰りの電車の中で、自分の期待とは裏腹に思うような就活ができず、悔しくて悲しくてしょうがなかったことを覚えています。このときの怒りにも似た感情が、私の原点です。

 

誤解なきよう付け加えますが、合同面接会に参加していた企業さんは何も悪くありません。私の期待のしかたがズレていただけのことです。

 

それはそれとして、怒りのパワーってすごいんですよね。ふとした瞬間によみがえるあのときの憤りの感情は、ダラダラしがちな自分をしゃんとさせ、体力もかえりみず自分を没頭させるだけの効果があります。

 

話はそれますが、この記事を書いている今、ドラマ「半沢直樹」のセカンドシーズンが始まりました。前回シーズンが最近配信されていたので観たらどハマりして、今回のシーズンも観るのを楽しみにしています。

 

自分はこのドラマになぜひかれるのだろうと考えました。「怒り」なんですね。決めゼリフ「やられたらやり返す。倍返しだ!」が象徴的です。半沢直樹をある角度で切り取ると「視聴者の怒りのコントロールが非常にうまい」といえるのではないでしょうか。もちろんその他にもこの作品には魅力があるのですが。

 

「怒り」で視聴者をひきつけるのは何も半沢直樹に始まったことではなく、テレビ・映画・本など、古今の「勧善懲悪モノ」に共通する手法だと思います。

 

こうした作品をエンタメとして楽しむ分には良いですが、影響されすぎないようにしたいなと。半沢直樹を観て「うおおおっ」となりがちな自分に改めて気がつきました。

 

私のように自分の経験に根ざした「怒り」が自分の生きる方向性に大きく影響している場合、特に慎重にしなければいけないと思いました。