ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

判断を間違えたとき

自分の使っているタスク管理表には、仕事に関するあらゆること(全部ではない)を書き込んでいます。

ただ単に、この仕事がいつ発生していつ完了させたという情報だけではないです。

そこには、私が下した仕事上の判断も含まれます。

その判断によって、その後のタスクも変わってきます。

こう書くと、間違った判断を見るたびに心がズキズキ痛むのではないかとお思いかも知れません。

実際、そういうのもあり得るのかも知れませんが、不思議とそう思ったことはありません。

タスク管理表を使うようになって、何がしかの事実を根拠に判断できるようになっています。

これは、仕事の目的と、そこまでやるべき行動を見える化した結果、より理性的で冷静に考えられるようになったのだと感じています。

言い換えると、

〜〜だと思う

〜〜じゃないか

という、自分の記憶・憶測に基づいた弱い根拠を採らなくなったということです。

ある意味責任転嫁かも知れませんが、採るべき根拠、その行動を自分が選んだ理由が間違っていただけで、自分の全部が否定されたわけではない、と無意識に理解しているんだと思います。

なので、心がズキズキ痛むことは、今のところありません。

以前の私は、何かを1つ間違えただけで、自分の全人格が無価値になったような気がして、その度に盛大に落ち込んでいました。

それから脱却できたのは、とても大きいです。

そういった形で、タスク管理表は自分を客観化できて良いですね。