ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

全てのタスクを書き出す、という無茶振り

GTDでは、いの一番に「頭の中にある全てのやるべきことを書き出しましょう。これをタスクの収集と言います。」と教えます。

そして、その後にサラッと「収集が終わりましたら、それらのタスクを……」と続きます。

ちょっと待った!

まず、頭の中にあるタスクを全部書き出すって、相当の時間と労力が必要、、、、と言うか無理ですよねそんなこと!

私も、GTDのフローの説明に「ではまず頭の中にある全てのことを書き出してー」なんて言っていたのですが、いざ具体的に数人にGTDを実践してもらう段になって「そりゃ無理だろう!」と思い始めています。

それでもとにかくやるのがGTDの開祖デビッド・アレンさんの持論なんでしょう。それは重々承知してます。

ですが、日々時間に追われながら、新たにタスク管理に取り組もうとする人たちにとっては、長くなると数時間もかかるような「タスクの収集」は、それ故に諦めさせてしまう引き金になりかねません。

GTDって面倒臭いからやーめた!」と言われてしまうのが怖いんですね。

実際、そういった面倒臭いことを地道に続けることがGTDのフローの根底にはありますが、最初からモチベーションを奪ってしまうのはどうかと思うのです。

私自身はどうだったかというと、まず休職明けで時間はふんだんにあったというおあつらえ向きの環境ではありましたが、それでも端っから「では、頭の中にある全ての業務タスクを書き出します!」と構えていたわけではありません。

まずは、思いつく限りのタスクを書き出す、それくらいで十分だと思っています。

新たなタスクが発生したら書き足せば良いし、書き出すべきだったタスクが見つかったら、それも書き足せば良い。

何事も完璧を求めちゃいけない、ということでしょうか。

それだけ、自分の頭の中にあるやるべきことを全ての外部に預けてスーッとなる気持ち、GTDで言う「水のように澄み切った心」ですが、これを味わうのが遅くなりますが、スムーズなGTDの導入には致し方ないかなと思っています。