資料という死霊
宙に浮く中途半端な資料
私は、仕事の案件名とその進捗の記録を1つのエクセルファイル(タスク管理ツール)にまとめています。そのエクセルファイルに載りきれない資料などは、データ化して社内の共有フォルダに入れています。
ただ、フラリと渡されたA4サイズ1枚の資料とか、その資料全部の情報が必要なわけじゃないんだけど一部抜き書きしてエクセルのタスク管理ツールに入れれば良いものとか、データ保存するには中途半端なものは、とりあえず手元に置いておくことになります。
ノートに挟む
宙に浮いたその中途半端な資料は、とりあえずのメモ用に開いているノートに挟むことが多いのです。さっとまとめられて散在しないので、お手軽にノートに「さっ!」と挟んでそのままにしてしまう。何か処理した感があります。
次第に重くのしかかる資料たち
この、ノートに挟まれた資料たち。これがそのまま残ってしまうんですね。そうなると、とても気持ちが悪い。いや、気持ちが悪いどころか、やるべきことをやっていないという罪悪感を募らせてしまうことになります。資料が死霊になって、夜寝ている時に襲いかかってくるのです(大げさ)。
悪霊退散!
これを書いている本日、2~3日間挟まれっぱなしになっていた資料をやっつけました。ある資料は必要事項だけエクセルのタスク管理ツールに転記しました。またある資料はPDFにして、共有フォルダへ格納しました。そもそも対象となっている案件が終了したので、即シュレッダー行きのものもありました。こうして死霊たちを退治したところ、憑き物が落ちたみたいに荷が軽くなりました。
なくなって分かる重さ
こういった仕事上のストレスや負荷は、のしかかっているときは少しずつ増えていくので重さを自覚できないことが多い気がします。そして、その肩の荷がおりたときに、「こんなに重かったんだ!」と分かるという寸法です。これを今回実感したので、ますますGTDの「収集(=自分のやるべきことを書き出す)」「整理(=書き出したやるべきことを、しかるべきツールに預ける)」が大事なのだなと思った次第です。