ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

本当に「時間がない」のか?

開祖のありがたいお言葉

タスク管理手法「GTD」の開祖デビッド・アレンは「時間がなくて仕事がこなしきれない」という人たちの殆どに対し、このように言っています。

(前略)多くのプロジェクトを抱えながら、次にとるべき行動を決められずにいる。(中略)そう感じられるのは、プロジェクトをいっぺんにやろうとしているからだ。私たちにできるのは、それを進めるための具体的な行動である。そして、それらの行動の多くは、やり方をまちがえなければ1分や2分でできるものだ。

(「はじめてのGTD  ストレスフリーの整理術」より)

 

結局目の前の仕事に尻込みして手を出していないだけなのだ、という痛烈なコメント。以前の私はまさにそうでした。

 

やらない理由を見つけ出してしまう

そういった場合の私の思考パターンは決まってこんな感じでした。

 

「とにかく少しでもいいから手を付けようって言われても、どうせ完了までにはすごく時間がかかるだろうし意味がないだろう」

 

「やれることを見出して少し手を付けたところでやる気が湧いてくるなんてことあるはずない。

 

そうしたことを言って、できるだけ手を付けないようにする。自分で勝手にやらない方向へ進めるための理由を見つけてしまうんですよね。

 

タスク管理は自分との戦い

タスク管理は、つまるところ自分の負け犬根性をどれだけ叩き潰せるかという戦いなのではないかと思っています。

 

時間がない→時間切れが怖い→最初から白旗

 

ではなく、

 

時間がない→時間切れが怖い→とりあえず着手→次にできるものに着手→次にできるものに着手→(繰り返し)→完了

 

この「とりあえず着手」に踏み出せるかですよね。

 

タスク管理の活躍はそこから

白旗を早々にあげてしまうのは、着手してから完了までの見通しが立たないことへの無力感が大きく影響すると思います。だから「どうせできない」と勝手に判断してしまう。

 

完了までの見通しをつけることが、タスク管理の担う大きな役割の1つです。永遠に終わらなさそうなことも、具体的な行動に落とし込めば、相応しい時間をかけるとやり遂げることができるのだということが分かります。

 

さらに、その具体的な行動は、ほんとうに些細な行動であるために「完了までの見通しがつかない」と判断してしまう原因にもなりますが、些細な行動であるだけに1分や2分で終わることが多いです。

 

その1分2分の手間の積み重ねが、確実に自分を完了まで導きます。無限に必要と思っていた時間が有限になり、「これらの具体的な行動をすれば終わらせることができる」という確信になります。その結果「時間がない」と一言で済ませることが劇的に減ります。

 

断る手段として「時間がない」を使う時はありますが、その際にも確信を持って言えるか、ただ単に漠然と時間がないんじゃないか程度の見積もりで「時間がない」と伝えるのとでは、説得力に差が出てきます。

 

この解決を自分の心がけや根性に求めると、失敗することが多いような印象があります。具体的な技術としてタスク管理による方法論を使う方が、無理なく自分を変えられるような気がします。