ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

タスクの「収集」が苦しくても良い

「収集」が辛くなることってある?

タスク管理手法"GTD"でまず最初に行う「タスクの収集」の説明として「頭の中にある気になることを全部書き出します」というコメントがあります。間違いありません。ただ、スルッと言い過ぎじゃないか、と思うのです。

 

頭の中にある気になることを書き出そうとすると筆が止まってしまう。書き出したいことはあるはずなのに、書き出さない。そんなことないですか。あるある!という人、筆が止まってしまうことは異常じゃありません。むしろ、あなたが誠実な証です。

 

なぜ苦行なのか

筆が止まってしまうのを強いて書き出す苦行、なぜ苦しいと感じるのか。そして、なぜそんなあなたが誠実なのか。

 

頭の中にある気になることというのは、未来に向けてこれを始めようというタスクはもとより、以前からこれやっておかなくちゃいけなかったんだよなァ……というタスクも含みます。チャランポランな人は「…ま、いっか!」と笑ってごまかすことができます。逆に誠実な人はこの時点でしまったと思うのです。

 

「しまった」とは?

この「しまった」って何なんでしょうか。タスクの依頼主に対してでしょうか。タスク管理手法の担い手として自分の次に控えている人に対してでしょうか。あるいはその他でしょうか。

 

私は、まず第一に「自分」に対しての罪悪感だと考えています。自分でやろうと内心思っていたのに、これができていない、あれができていない、ということが、タスクの収集をして書き出すことで白日の元にさらされてしまうのです。

 

自分が自分に依頼して「このタスクはいついつまでにやります」と約束します。そして、自分との約束が守れていないので「頭の中にある気になること」として残っているわけです。結果、自分は自分に対して「約束を守らない人」のレッテルを貼ります。言い換えると、自己肯定感を低めます。タスクの収集中の「しまった」の内容はおよそこのようなものです。約束を破ったことを重く受け止める人、つまり誠実な人ほど自己肯定感を低くしがちになります。

 

むしろそれが大事

だからといってその苦行を避けようというのではありません。むしろその逆で、自分との約束の破り具合を明確にして受け止めて、新たにスタートを切ることが必要不可欠です。神父さんの前で懺悔を告白してスッキリして前向きに生きていく、という感じです。告白がないとスッキリできます。そして、その後自分との約束を守るように勤めれば良いのです。

 

収集の苦しさは必要

タスクの書き出しの筆が止まってしまうのは、自分との約束を果たせなかった自分を受け入れなければならないからということです。そんな自分を受け入れるのは辛いものですよね。そういうものだと思っておけば、幾分かタスク管理の「収集」を進められるようになるかもしれません。