ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

何も考えずに社訓を暗唱することの無意味さ

取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
最近、過重労働で話題の某社の社訓「鬼十則」のうちの1つです。働き方改革を進めるにあたっていい標的になっている感がある同社ですが、さすがにこの言葉にはひいてしまいます。

 

同社はたまたまその体が巨大だったので目立ったわけで、その縮小版の会社というのはかなり多いと思われます。そういった会社でよくあるのが「毎朝の社訓暗唱」。これにも抵抗感を覚える人はいますね。私は、そもそも毎日社訓を暗唱させることにそこまで発声練習を超える意味はないと考えます。

 

社訓の存在意義?
今自分がやっている行動の意味は本当にあるのか?と考え直すことは大事だと思います。そこには、目標(=社訓)をあらためてハッキリさせて、その目標に今の自分の行動が沿っているかを確認するというプロセスがあります。そのプロセスは非常に良いものだと思います。目標という社訓自体は決して悪いものとは思っていません。

 

そもそも目標がなければ、無意味な行動ということになります。そして、形の上では目標のようなものがあったとしても、ただ考えもせずに目標として掲げているだけだと、無いのと同じです。つまり無意味になってしまうということです。

 

社訓をただ暗唱するだけになっている会社はその典型例ですね。「7つの習慣」のミッション・ステートメントのように、本当に心から大事だと思う文章でないと、暗唱している時間が無駄になるだけでなく、その目的なく行動をする徒労感に襲われて、精神力が削られる一方です。

具体的な目標がわかっていない状態では、自分や他の人のモチベーションを高めるのはまず無理だ。目標の中には壮大で長期的なものもあれば、すぐに達成したいものもあるだろう。どのようなものであっても、それらと自分の位置関係がはっきりしていれば(目標はあそこで自分はここにいる、という認識だ)、自分がどういうものに向き合ってあるのかがわかる。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」より)

 

社訓が浸透している会社はすごい!
逆に、ミッション・ステートメントたる社訓を正しく適切な手順に沿って作成し、構成員がその意図を十分に理解して共感する組織があるとしたら、それはすごいです。よほどマネジメントが上手くいっているか、元々共感ポイントが似ている人が集まっているか、いずれにしても1+1が2にも3にもなる力を持つのではないかと思います。

 

社訓をタスク管理する
タスク管理"GTD"は、ミッション・ステートメントや社訓のようなはるか雲の上の概念から、何ヶ年計画のような大規模プロジェクト、半期の目標、今日やることまでを管理することができる、とデビッド・アレンは言っています。

 

デビッド・アレンの言うことを全部肯定するとまでは思いませんが、少なくとも大きな目標は小さなタスクへと分解され、そうすることによって「これくらいならできるかも」と思わせることができます。それによって、個々人のモチベーションを上げることはできるのではないかと思います。

 

社訓暗唱に発声練習を超える価値を付加したいのであれば、全員がその作成に参画して、日々の業務タスクと地続き感を得られるようなものにすれば良いのではないかと思います。

 

ユルユルで甘い内容にしては意味がないと思いますが、かと言って、間違っても決して「殺されても放すな」といった内容にしてはいけないと思います。

 

と、友達が言っていましたー。