資質、能力よりも「やり方」
社会で充実した生活が送れるかどうかがは先天的に決まっているか。これに対してはぜひ否定派にまわりたいと思っています。
今、私は生活が充実しているので!と言いたいのではありません。私は基本的本質的先天的には「送れない側」なので、肯定派に抗いたいという意地のようなものがあるからです。
タスク管理手法"GTD"の開祖デビッド・アレンは、大手アパレル会社の品質管理とリサーチの責任者を務めている友人が言った「生産性向上の大部分がシステムに依存していることが研究を通じて証明された」という話を引用して、こんなことを著作で書いています。
要は、うまく機能するシステムが必要だということだ。(中略)モチベーションや知性を高めても、長期的に見ればパフォーマンスに大して差はないという。生産性を向上させるには、どのツールを採用し、どういったシステムを構築するかが重要なのだそうだ。彼はまた、組織の物理的なシステムを改善させるための方法論はたくさんあるが、思考システムを改善させる方法論はGTDが初めてだとも言っていた。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 実践編」より)
この考え方は私の拠り所となっています。「仕事がうまくいかない」と自分をすぐ追い込んでしまい、「それは発達障害だからだ」と結論づけてしまうところから私を掬い上げてくれるようなものだからです。
もし、自分の特性がダイレクトに生活の充実度や仕事上の成功のようなものに反映されてしまうのだとしたら、とっくに私は淘汰されていたと言っても過言ではないと考えています。
また、その特性をサポートする「システム」を構築するのに膨大な時間や資金が必要なら、やはり自分一人でどうにかできるものではなかったと考えています。二度も会社での仕事がうまくいかず休職した自分に、そういった手段しか残されていなかったら万事休す!でした。
しかし、偶然にタスク管理、とりわけGTDをやるようになり「思考システムを改善」できるようになったため、自分の特性を矯正したりすることなく自分一人で、しかもエクセルをいじるだけでサポートできる環境を作ることができました。とても幸運なことだったなと思います。
その人がどれだけ先天的に能力を持っているかだけではなく、むしろ「やり方」の方が大事だと、先に挙げた経験をしている私としては思ってます。そして、それは私だからできたことではなく、再現性はあると確信しています。「やり方」次第で変わることはできると思っています。
どのようにその「やり方」をスムーズにかつ広く習慣化してもらうか。この辺が私に課せられたテーマだと思っています。