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「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

タスク管理の手間は必要だと諦めよう

タスク管理の面倒くささ

タスク管理が好きで好きでたまらなくなっている人は、タスク管理に自分の手間をかけることを惜しみません。タスク管理にかける時間と、管理しているタスクを実際に実行する時間のバランスが取れている人は問題ありません。

 

しかし、タスク管理すること自体が目的化してしまっている人は、はたから見ると本末転倒に見えます。私も、自作ツールにいくつかの機能を付け加えていた時がありましたが、明らかに無駄だったと思います。

 

逆もまた然りで、そもそもタスク管理に回す時間なんか無いですという人もいます。目につくもの片っ端から片付けていくプルドーザーのようなスタイルが私のやり方です、という考えです。

「気になること」の処理作業にはそれなりに時間がかかる。(中略)ごく一般的な量の情報が入ってくると想定した場合、通常はそれらを処理して最新の状態を保つのに毎日1時間ほどは費やさなければならない。

(中略)あなたはこの時間を利用してそれぞれの項目について考え、判断を下し、すぐにできる行動を終わらせ、データを仕分け、必要な人に連絡を取り、新たな仕事を見極めて整理していくことになる。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 実践編」より)

 

タスク管理をしないことは可能か

上にあるように、どんな形であれ、やるべきことをこなしていくときには、タスク管理にある一定の手間はかかるものです。全くタスク管理をしないで仕事をすることは考えられない(電話で頼まれた用件、メールでの依頼、口頭での頼まれごとを全部記憶できる人はいない)ので、必要最低限の時間は割かねばなりません。

大事なのは、こうした処理には時間がかかると認識することである。(中略)多くの人はそのことに気づかなかったり、認めたがらなかったりして、処理がどんどん追いつかなくなっていく。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術  実践編」より)

仕事をする上では、誰しもがタスク管理には一定の時間がかかるということに気づいたり認めなければならない、ということです。始終自分の仕事を見張っている秘書がいて、全ての自分の仕事の進捗を逐一メモして知らせてくれるなら別ですが、そんな環境にいる人は稀ですね。

 

「実はかかっている時間」を認める

「自分は『タスク管理』だなんて大層なことは要らない。行き当たりばったりでなんとかする」と考えているブルドーザー型の人であっても、ノートや付箋にメモをしたり、部下や同僚に「これ覚えておいて」と頼んだりします。誰でもなんらかのタスク管理をしなければいけないという不都合な真実に気づく、あるいは認めなければならない。

 

そうであれば、無駄なく確実に動くタスク管理システムがあった方が良いですね。ポロポロ落ちる可能性がある付箋での管理や、「あれ?どこに書いたっけ?」とページをめくって探さなければいけない形でのノートでの管理は、私は不確実で無駄が多いと感じます。そして、本人はその無駄にかかっている時間をなぜか意識していないのです。タスク管理に通常かかる時間と、それすらやっていないことによる無駄な時間も、一日の時間の見積もりに入れようとしないのです。

 

かなり模範的にタスク管理が回せていたとしても、タスク管理がちゃんとできていなかったとしても、多かれ少なかれどうせ時間はかかります。なら、できるだけ時間がかからないようシステムを考えようというのが自然な流れではないかと思います。タスク管理に興味を持った人たちが新しいツールに飛びつくのも、より良い環境で生きやすくなりたいといった理由からだと思われます。