GTDはある意味仕事術ではない
より仕事ができるためになること
より仕事ができるようになるには、例えば英語を勉強したり、MBAを取ったり、その他資格やらスキルやらを取りまくれば仕事がデキる人になれると思います。仕事がデキる人を「高い給料がもらえる人」と定義すれば、GTDよりももっと昇給に直結することがあると思います。
GTDの目的は?
GTDは昨今のエリートビジネスマンはもう当然のように知っているとか何とか言っている文脈では、さもハイクラスになるためにGTDを用いているような、そんな言われ方をしている気がします。GTDの持つ業務効率改善、迅速化は、あくまで副次的な産物、あるいは目的の前提に過ぎないと考えるようになりました。では、GTDの目的・本質は何なのか。
いざというときに速やかに、かつ完璧に最新の状態に戻れる自信がどれだけあるかだ。GTDの本質はこの部分にある。仕事をより速く、あるいはより集中して行える状態を維持することが直接の目的ではなく、その気になればいつでもその状態を実現できると思えることのほうがはるかに大事なのだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 実践編」より)
水のように澄み切った心
上で言っているのは、GTDで繰り返し強調されている「水のように澄み切った心」を得ることがGTDの本質であり目的だということです。業務を滞らせたり、抜け漏れが多発していても水のように澄み切った心になるなんて無理です。
何のための業務効率化か
何のために業務を効率化するのでしょうか。GTDを駆使した結果、業務は効率化され、確実性も格段にアップしました。それらは何のためにあるのか。会社員であれば「会社の利益のため」という言葉が出てきてもおかしくはありません。
業務を効率化させて残業代を抑制して人件費を低くすることや、スピードアップすることで、より多くの受注をいただいて売上を伸ばすことも、会社にとっては喜ばしいことですね。
ただ、会社の利益が自分個人がGTDをする目的かというと違うと思います。それよりも、業務の効率化や正確化のその先にある「水のように澄み切った心」で毎日精神的に余裕を持って過ごすことの方が何百倍も大事だと思います。これは自分に対してなのですが、ゆめゆめGTDで業務生産性向上することだけ注目しないよう。それで身体なんか壊した日には、本末転倒も甚だしいですからね。GTDは仕事術ではなくて、自分を労わるための処方箋なのかもしれません。