ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「規律」が「仕組み」になるとき

規律

自分を自由から遠ざけて縛るもの。制限。

 

仕組み

自分が自由にやりたいようにするための手段。方法論。

 

目的地に行くのに電車を使う。これは制限でもあり、目的地に行く自由を実現するための便利な手段です。

 

私は東京にある中央線武蔵小金井駅が最寄りです。会社のある田園都市線池尻大橋駅に行くまでには、少なくとも2回は乗り換えをしなければいけません。ただ、これは自分の移動に対する制限ではなく、目的地である会社に着くための手段です。電車を本気で制限だと考える人はいないでしょう。

 

この「自由」と「規律」について、タスク管理手法"GTD"の抱える問題を、GTDの開祖デビッド・アレンはこのように書いています。

効果的な仕事術を指導する私の業界で常に議論になることがある。それは自由と規律のあいだの理想的なバランスはどこか、ということだ。「よく管理されていること」と「管理されすぎていること」の境目はどこにあるのか?

 (デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

 

タスク管理手法"GTD"は「やるべきこと」を進めるために必要な5つのフローを定め、それを紙かデータのツールに記録して管理することを提唱しています。

 

覚え始めのときは、5つのフローを経ることとツールへの記録が「規律」に思えることでしょう。いつしかそれが、自分を支え、助けてくれる仕組みになるとしても、です。

 

規律から仕組みに変わるのはどういうときか。おそらく、規律を守ることで自分の満足する結果・報酬が得られ、それが継続し始めたときではないかと思います。

 

自分にとって、タスク管理は自分を制限する規律ではありません。自分のやりたいこと、やるべきことを達成したり実現してくれる仕組みです。やりたいことを達成するところまで、自分をもっていってくれる。これは立派な報酬です。今はそれが分かっているので、GTDを続けられています。