ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

無自覚に頭を占拠する「やりかけの仕事」

頭の中に記憶しているだけで、精神力は削り取られていく。そう聞いたら殆んどの人が「そんな馬鹿な」と答えるのではないでしょうか。

 

もしそれが本当であれば、ボーッとしている瞬間も、他の何かに熱中しているときも、そしてゆったり温泉に浸かっているときも精神力はなくなる一方で、心休まる時など全くなくなるということではないか、ということになってしまいます。

 

程度の差はあれ、何かに熱中していても、ゆっくり温泉に浸かっていても、頭の中はバックグラウンドで気になることのアップデートを始めてしまうのが現実だと私は思います。

 

バックグラウンドでのアップデートが大きくメモリを食い頭の中を占拠してしまう状態が、いわゆる適応障害という状態に近いものだと考えます。寝ても覚めても昨日やり残した仕事が気になって不安になって仕方がないという状態です。

 

健康に毎日を過ごしていくには、アップデートに使うメモリを最小限にしなければなりません。タスク管理の方法論で考えると、そのアップデートに使うメモリやら何やらをできるだけ外部へ逃がすのが良いとされています。

頭の中に預けっぱなしになっている、やりかけの仕事の数々はにっちもさっちもいかない状態で頭の中をぐるぐると回り始める。その無限ループはあなたの頭の中でイライラやストレスを生み出し続ける(そう、今、この瞬間も!)。何かをしようと決めた瞬間から、その決めたことが完了するまで、心にはエネルギーが必要で、それを消費し続けるのだ。それが心の宿命なのだ。「牛乳を買わなければ」も「この会社を買収するかどうか決めなければ」も、同じように心のメモリ空間を占拠する。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

 

残念ながら頭の中を可視化することはできません。どれだけの「やりかけの仕事」が頭の中を占拠しているのかは自覚できないことが多いです。 

 

「あなたの頭の中のメモリはこれくらい食われていますよ」と見せてくれるもの、それはタスク管理ツールに書き出されたタスクのリストに他なりません。スマホなら、容量を超えそうになると警告を出してくれます。しかし、脳は警告を出してくれません。容量を超えて、適応障害やうつの症状という形で、やっと知らせてくれます。そのときにはもう遅いのですが。

 

やりかけの仕事を頭の中にそのままにしておくこと、「自分はまだ大丈夫」「周りは頑張っているのに、このくらいで音を上げていたら駄目だ」と耐えるのもよくよく慎重にした方が良い。

 

むしろ、早く頭の中から追い出さないとすぐに脳は故障してしまいます。気を付けるに越したことはありません。