ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

ナナロク世代の憂鬱

こちらの記事を読みました。

globalbiz.hatenablog.com

 

私は1976年生まれですので、こちらの記事の著者とくさんと同年代、ナナロク世代です。調べてみると「76世代」というのがキーワードになっているのが分かりました。

business.nikkeibp.co.jp

 

考えてみれば、大学から新卒で社会人になってからの数年間、76世代は絶えず変化に晒されてきたという実感です。バブル崩壊からの就職超氷河期に就職活動をし、やっと活躍できると思ったらリーマンショックという荒波です。と言いつつ、私は普通の76世代とは少し違う道を歩んでおりますので、あまりリアリティが無いのですが。

 

ただ、冒頭で紹介した記事には大いに共感します。これは76世代に特有のものでもなく、今働いている世代共通のものだと思います。幸せにも何事もなく仕事で飯を食い続けていられる人は、どうかそのままいっちゃって下さい、と思います。問題は、様々な変化に翻弄される人たち__私も含めて__が多々いるんじゃないかということかと。

 

私も休職して四六時中家にいたときがありました。実家にいて、とにかく引き籠るしかありませんでした。しかも、その事実をあまり知られたくないので電話に出たくない、家への訪問者がいても、極端な話郵便屋さんが来ても対応したくないと親に頼んでいました。これ、30代での話です。

 

また、別の(!)休職のタイミングでは、記事の筆者と同じく「平日にジム」をやっていました。かなり熱心に通ったおかげで、今の体重から10kgも痩せておりました。逆に言うとそのくらい暇があったわけです。周囲の人たちと比べて、明らかに自分は異質でした。高齢の方々、専業主婦の方々に交じってジムで汗を流すのは、そこはかとない自分の中の違和感との戦いでもありました。

 

しっかり運動をして、充実感を覚えつつ帰宅する際に、おそらく仕事をバリバリやって活躍しているであろう同世代のことをふと思い出し、「なんで自分は今こんなことをやっているんだろう……」と考えたことは数知れません。

 

そんな経験をし、かつ経験をしつつ、そんな自分に諦めをつけることができ、自分を受け入れることができました。自分を受け入れるというのは、こういった体験が必要なのでしょうか。必要不可欠かどうかは分かりません。しかし、自分としてはこういった自分に対してふがいない思いを抱いたり、情けないと思ったり、社会から取り残されているという違和感を覚えたりしたことが、そんな自分を受け入れざるを得ないという経過を辿るのに大きな影響を与えたことは間違いありません。

 

しかも、そこから立ち直らなきゃいけない。「燃え尽きたぜ...真っ白にな...」で終わってしまっては意味がないのですね。立ち直るための手段が、自分にとってはタスク管理でした。他の方にとっては、まったく別のやり方で立ち直ることももちろんあると思います。

 

冒頭の記事を読んで、なんとなく思ったことを書きました。