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「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

タスクマネジメントは「ラーの鏡」

私はバリバリのドラクエ世代、しかもファミコンの頃のでして、今でもドラクエの音楽は私のiPhoneに入っております。ドラクエⅡの中で「ラーの鏡」というアイテムが登場します。呪いで犬に変えられてしまったムーンブルクの王女を元の人間に戻すためのものです。アラフォーの方々には懐かしい話ですね。

 

ところで、本当にところでなんですが、タスクマネジメント・タスク管理をするのは何のためなのか、という話をします。いきなりの話題の転換ですが、進めます。

 

タスクマネジメントをするのは、業務効率化のためでしょうか?

 

そうですが、その先があります。

 

では、タスク管理手法”GTD”が目的としている「水のように澄みきった心」を得ることが最終的な目的なのでしょうか?

 

結構奥地までいっていますが、まだ先があると私は思います。

 

「水のように~」はGTDがもたらす効能であって、それが我々の最終目的ではないと思います。風邪をひいたら風邪薬を飲みますね。薬がもたらしてくれるのは風邪の諸症状の緩和という効能ですが、それが目的ではありません。症状が緩和したら念願だったレストランに行ける、ディズニーランドに行ける、といったやりたいことをするのが目的です。つまり、「水のように~」を得てやれる先のことが、最終的な目的ということになります。 

単に自分の人生から逃げてしまいたいという思いから、やりかけのことを整理しているのだとすると、決してストレスから解放されることはないだろう。いや、もちろん一時的な解放感は得られる。非常にすっきりすることさえある。頭も書類受けもすっかり空にして、「プロジェクト」リストを更新するのは気分がいいものだ。しかし、それをすっかり済ませてしまったあとでさえ、心のどこかでは「仕事などやめてどこかへ行って何も考えないでいたい……」と思うことがある。

(中略)しかし、あなたが自分の頭ではなく、心に注意を移すことができれば話は変わってくる。(中略)目の前のものを何でも受け入れ、その可能性に興味を持てるようになる。心に迷いがなくなるからだ。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

※太字は本の記載の通り

 

 人によりますが、GTDで「水のように~」が得られてすっきりしたら、心の中の雑念が消え、自分の心と真正面から相対することができるようになると実感しています。すると、自分の心の叫び、これがやりたい、あれがやりたいというのが聞こえてくるのではないか、と考えています。少なくとも、私は、タスクマネジメントを実践した時期から、自分が本当にやりたいこと、一生かけてやりたいと言えるようなことが分かってきはじめました。

 

精神的な余裕が生まれ心の叫びが聞こえてきたとしても、時間的な余裕が生み出せないと、その「生かけてやりたいと言えるようなこと」を実行に移すことはできません。それができるようになったのも、GTDは大きな要因の1つだと思います。

 

もちろん、心の叫びを聞いた結果が、「毎日、ほどほどに仕事を終わらせて、家庭の時間を大切にしたい」「もっと友人との交友を深めたい」でも「ゲームしたい」でも良いです。公序良俗に反しない限りどんな心の叫びを持っていても自由です。

 

問題なのは、本当はこれをやりたいという欲求があるのに、日々の雑音でそれが聞こえていない状況にある、ということだと思います。また、引用の文章のように、タスクマネジメントをすること自体が快感になってしまい、手段が目的化してしまう例も稀にあります。私はこれに片足を突っ込んでいます。幸いにも私は足が短いので、足を突っ込んでいると言えども、そんなにではないのですが。

 

話を戻しますが、本当の自分を見せてくれるタスクマネジメントは、ドラクエⅡにおけるラーの鏡のような存在と言っても良いのではないかと思います。

 

……となると、私はムーンブルクの王女ということになりますか。タスクマネジメントによって魔法が使える美少女になれるのでしょうか。いや、ならなくていいですけど。