残業は絶対悪なのか
18年分の残業時間
先日、こんなツイートをいたしまして。
3ヶ月合計残業時間が5分だった私、本日9年分の残業。
— 小鳥遊@3/17東京、4/8福岡 (@nasiken) 2018年3月7日
明日もそれくらいやる予定なので2日間で18年分の残業をすることになります。
_人人人人人人_ > 18年分 <
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昨年、とある会社でお話をさせていただいたとき、直近3カ月の残業時間が5分であったことを一つの単位としました。これが使い勝手が良いので、そのまま私の平均残業時間としています。
この日は3時間の残業でしたので、9年分という数字が出てきました。
残業は絶対悪なのか
普段これだけ残業をしないでいる私は、残業をどう考えているのか。「不要な残業はしたくない」というのが私の考えです。逆に言うと必要ならやるということです。名女優が「芸術のためなら、ワタシ脱ぎます!」というのと同じです。……同じなのか?
少なくとも、やりたい仕事が目の前にあったとして、あと1時間やれば完成する!というときに「はい、定時なので終わって!」と言われたら、「ええーっ、もうちょっとやらせてよ!」と言うと思います。つまり絶対悪ではないと思っています。
やりたい仕事は残業とか関係ない
やりたい仕事だったら残業はしてしまうだなんて結局は好き嫌いなのか、と言われそうですね。誤解を恐れずにいえばそうです。好きでもないことの残業はしないに越したことはない。
好き嫌いで言い切ってしまうと、その時の刹那的な判断でクルクル評価が変わるイメージの、気分屋さん的な印象がありすね。厳密にいうとそうではありません。自分の中にある程度固まった判断基準があっての「それでもこの仕事は好きだから残業する」は、アリだということです。極端にいえば「これが自分の人生の目的ダ!」のようなものがある場合です。
「これは自分にとって必要だ」とか「これは好きだ」と言えるような活動があれば、時間外とか考えずにバンバンやりたいですよね。やりたいことができる時間をより多く持てた方が幸せなんだと思います。
残業抑制という最近の傾向は結果的には正しいと思いますが、なぜ残業を抑制すべきなのかについては、思考停止している部分があると考えています。ただただ悪いから残業はやっちゃダメ!ゼッタイ!というものではない。
残業抑制の目的
残業抑制は過労による健康被害は食い止める面があるのと同時に、「これは好きだ」という活動に割くための時間的・精神的な余裕を作り出すという面もあると思います。
いつも(定時上がりのとき)は会社から帰りながら、本を読んだりブログの下書きをしたりしています。しかし、上のツイートの日は、そんな余裕はありませんでした。時間的な余裕も然りですが、何より「する気が起こらない」。自分でも笑えるくらい「え?ブログ更新とかなんでそんな意識高いことしなきゃいけないの?」と考えるくらい精神力がやられていました。私にとって残業は精神力も多大に消耗するものでした。そのときに気がつきました。残業しないのは、会社の仕事以外の活動をする余裕を作るためにあるんですね。
残業抑制のためには…
そこでタスク管理が密接に関わってくるわけです。仕事の全体量は減らない。だけれども仕事ができる時間は短縮したい、あるいは短縮されざるを得ない。そのためには、やるべき業務タスクを整理し実行スピードを上げることが必要になります。そのあたり一帯を司るのがタスク管理です。
「タスク管理で業務効率化しても給料変わらないしなー」と思う人は多いかもしれません。だからといってすぐに「なのでタスク管理はやっても意味なーし!」と結論付けるのは早い。よりやりたいことをする時間的・精神的余裕を作り出すために、残業を最低限に抑える手段だと考えれば、とても有用だと思えます。
そう考えると、「何のために定時上がりをしているのか」という問いに胸を張って答えられるようになりますね。定時上がりをしている自分を評価してあげられる、つまり自己肯定感を上げることにもなります。考えればいいことずくめなので、やっぱりタスク管理は無駄じゃないなと思います。