負けるが勝ち
こんなツイートをしました。
「負けるが勝ち」は、負けを否定して勝つのではなく、負けがそのまま勝ちになるという意味も含まれるなぁと思うことしきりです。
— 小鳥遊5/19イベント開催 (@nasiken) 2018年4月26日
ADHD特性で仕事がうまくいかなくて辞めたことは、当時は「負け」でした。でも、そのことがあったからタスク管理で弱みをカバーするという「勝ち」があるわけで。
負け組・勝ち組という言葉が流行りましたね。その言葉を否定するつもりはありません。私が大学4年生だったときは、とにかく「トーミツ(東京三菱銀行。現:三菱UFJ銀行)」に就職が決まれば将来は約束され圧倒的な勝ち組でした。しかし、万物は流転します。
負けたからこそいつしかそれが勝ちになっていたり、勝っているつもりでも実は負けだったり。むしろ、勝ち負けという基準も分からなくなりました。
自分を否定されたり、貶めるようなことをされたりしたとき、自分の限界や弱み、どうしようもない壁を否応なしに認識させられます。例えば、管理部門でやってきた人間が、いきなり営業やれと言われた日には、辛み以外の何物でもないです。
これはいわゆるひとつの左遷ってやつですね。会社の内部事情は色々とあったのだろうと思いますが、結果的に私は部署を追い出されたわけです。その前に仕事がうまくいかなくて休職していたことは、無関係だとは思えませんでした。
ただ、そこまでされるとさすがに色々と諦めがつくようになり、自分の弱みを素直に受け入れられるようになります。
会社で仕事がうまくいかなくて悩んでいたり、左遷同然の異動を受け入れざるを得なかったりしてもなお、流転を待つのもまた1つなのかもしれないと思います。それがなければ、自分の弱みを受け入れて、それをカバーするタスク管理というものに出会わなかったからです。さらには、一連の体験とセットにして誰かの役に立つような情報発信ができるようにもならなかったことでしょう。
そんな文脈で、負けるが勝ちは「負けこそ勝ち」という究極にポジティブな意味合いも持つという考えに至り、冒頭のツイートをした次第です。
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