ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

仕事の不安には「嫌われる勇気」を。

こんなツイートをしました。

 

この話、賛否分かれます

イベントや講座でこの類の話をすると「よくぞ言ってくれた!」と賛同する人と「それはちょっと……」と苦笑いする人に分かれます。「嫌われる勇気」で一躍有名になったアドラー心理学ならではだと思います。 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

嫌われる勇気、つまり嫌われる可能性があるのですね。実際、会社組織で働くと「私ここまでしかしませんから」と境界線をひく人は嫌われます。私も、そんな人に対して良い印象は持ちません。

 

好かれるより大事なこと

私は、周囲との関係性を良好に保とうとしていました。それが絶対正しいものだと思っていました。総務という部署にいたこともあり、他の部署からあぶれた仕事こそ総務の仕事と考えて、率先して面倒くさい仕事を引き受けていました。

 

その姿勢は良いものだと今でも思います。ただ、自分のキャパシティを超えて要望に応えすぎてしまい、自分の身を持ち崩してしまいました。結果、休職という事態に。潤沢な人員配置ではなかった当時の勤務先には相当の迷惑をかけたと思います。今でもその方々には顔向けができません……。

 

好かれようとした結果、結局迷惑をかけてしまいました。そうならないように、自分のキャパシティをしっかりと見極めて「私ここまでしかしません」と言うべきだったなと、ひどく反省したのを覚えています。

 

まずは課題の分離

その経験を生かし、まずは自分が最低限やっておかなければいけないことをやるのと同時に、自分がやるべきではないものに関してはやらないという視点を持つことにしました。

 

どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きし、他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

 

この視点によって、自分のキャパシティ以上のことを引き受けて潰れてしまう傾向のある自分を律することができたと考えています。

 

課題の分離ができてこそ

そうやってまずは自分のやるべきことをきちんとできるようになってはじめて仕事の不安が解消され、他の人のヘルプをしたり、自分の職務領域ではないことに手を出すことができるのではないかと思っています。

 

最後に

課題の分離は一見するとひどく冷たい考え方のようですが、私にとっては組織で融通の利く存在になるための大前提となる姿勢です。そんな思いを込めて、冒頭のツイートをしました。伝わればいいなと思っていますが、読んだ方がどう受け取るかはその方次第。これも課題の分離。