ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

恥ずかしげもなくキレイゴトに向かえるタスク管理

キレイゴトへの忌避

自分がやりたいことに向かって頑張ることに対して茶化す風潮がありませんか。大真面目に「自分はこれがやりたい!」と言うと、「いや、それ無理だし」といったコメントが決まってついてくるような、そんな気がします。綺麗事言ってないで地に足をつけなさいと言わんばかりです。

 

真面目くん

小学校の時、自分は「真面目〜(笑)」と言われてよく笑われました。真面目ってだめなことなのか?と幼心に思ったのを覚えています。今考えれば、単に融通の利かないだけだったのかもしれません。でも、融通の利く小学生って嫌ですね(笑)

 

学級会でそれが取り上げられ「真面目、真面目っていじめられる」と発言したところ先生は「真面目は悪くない」と言い、いじめていた(と私が思い込んでいた?)クラスメイトは「いや、だから真面目って悪くなくて……」と弁明。若干のモヤモヤは残りつつも、その後クラスメイトとは仲良くやっていました。

 

真面目なのは果たして良いのか悪いのか、この時ぐらいから「真面目であること」に対して微妙な感覚を覚えるようになりました。

 

大人になる

後年、自分も大人になって、自分のやりたいことを実現すべく頑張っている人に対して、「そんなことやっても無理だってばー…」と傍観するようになりました。

 

これはある意味必要なことだと思います。自分の身の程を知るのは決して悪いことではないと思います。ただ、身の程を知るのと最初から自分で限界を設定するのはイコールではありません。自分の特徴を分かった上で、あえてチャレンジするのはアリだと思います。そんなときの推進力までなくしてしまうのはもったいない。

 

目標に向かう情熱は失わない

タスク管理を始めて、目標を設定して達成することを繰り返していると、何もしないで傍観していたら何のタスクも完了しないことが分かります。タスク管理を実践し始めると、自然に目標に向かって突き進むことが日常になります。

 

タスク管理のフレームワークで物事を進められるようになると、とにかく小さくても第1アクションを実行することが目標達成につながるようになり、少しずつでも自分が前に進んでいくのが実感でき、そんな自分に自信が出てきます。

 

もし、タスク管理を実践していなければ、あれこれ「やらない理由」を考えては傍観して突っ立っているだけの日々を過ごしていただろうと考えると、ああ良かったとホッとします。

 

タスク管理で綺麗事を身近に

綺麗事へ向かう真面目くんは得てして敬遠され、忌避されます。でも、やりたいことはやればいい、できなかったらそこで諦めればいい、と思えるようになりました。目の前の小さな一手順、ひと作業が、そのずっと向こうにある目標につながっているという確信を、タスク管理はもたらしてくれます。

 

「どうせ無理」「まだそんな時期じゃない」「もう遅い」という傍観者スタイルになってしまうのを「むしろ今だからやろう」に変えてくれるのが、タスク管理の定めるいくつかのフローだと実感しています。タスク管理を実践することは、ただそれだけで考え方、そして生き方も変えられると思っています。