タスク管理はあくまで次善の策
こんなツイートをしました。
タスク管理は、あくまで次善の策。理想は、すべての行動が習慣化されてタスクを管理することから自由になること。
— 小鳥遊@発達障害を「仕事のすすめかた」でカバーしてはたらく会社員 (@nasiken) 2021年9月22日
でもそれは限りなく不可能に近いので、我々はツールを使い、タスクを管理する。
逆に、完全に習慣化された限定的な場であれば、タスク管理しなくて良い、ということになります。 https://t.co/L26FV9ZisK
タスク管理をするのはその必要があるからであるというのは、胸に刻んでおきたいところです。
ただ、タスク管理が好きになることを否定するつもりはありません。私自身、タスクをこなすごとに達成感を味わえるので、タスク管理ツールはなくてはならない存在になっています。
ただ、原理原則は冒頭に挙げたツイートの通りだと思っています。
例えば、毎日同じメニューの朝食を食べる人は、最適化された朝食づくりから朝食を取るまでの一連の行動を身体で憶えているわけです。いちいちタスク管理ツールを参照する必要はないですね。
仕事であっても、一日ルーチン作業であれば、ひたすらそれをやり続ければよく、あらためて「タスクの目的を明確にして」「次に取るべき具体的な行動を見極めて」などといったことはしなくても良いわけです。
その人にとって、その行動が身体で憶えているレベル、つまり習慣化できているのであれば、タスク管理は必要ない。考えてみれば当たり前の話ですね。
逆に考えれば、タスク管理をしなくても済むように習慣化できるものはしておくという考え方もあるのではないかと考えます。
人間は原則的にマルチタスクはできませんが、身体で憶えているレベルで習慣化している動作については例外です。自転車に乗りながら「今日の夕飯は何にしよう?」などと考えられるように。
都度タスク管理ツールを参照する暇がない(あるいは参照できない)環境にある仕事は、「習慣化された動作」の組み合わせで進めていくのだと思います。その典型的な職種が料理人だと考えていますが、だから、料理人は修行が必要なのかもしれないですね。
もっとも、料理人であってもタスク管理ツールが必要となる局面がないとは言えないと思います。
大事なことは、ゼロヒャク思考にならないことではないでしょうか。タスク管理が必要な場合と不要な場合とを組み合わせて、自分に最適な管理方法を考える柔軟性があると、結果的により良いタスク管理生活が送れるのではないかと思います。