ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

美徳に逆らわざるを得ない時

皆が協力しあって仕事を進めるべきという会社勤め人にとっての美徳をやってはいけないという話です。

 

今、人事に関するとある新制度を作るというプロジェクトに入って取り組んでいます。

 

プロセスごとに各部署や経営層に確認や根回しが必要になるので、その性質上、どうしても進みが遅くなってしまいます。

 

加えて、プロジェクトリーダーが忙しく、打ち合わせでこれをやろうと決めたことを、そのプロジェクトリーダーがなかなか出来ず、打ち合わせの間隔が空いてしまう、ということもあります。

 

当初は数ヶ月間の時間があったはずなのに、今日明日中にフォーマットや資料を作らなければいけない、という事態になること多数。忙しいプロジェクトリーダーの仕事の様子を見ると、心情的に「もっと効率的にプロジェクトを進めろ」とはおいそれと言えない感じです。

 

では、リーダーがやる仕事を手伝えば良いのではないかと、当然考えますよね。会社なんだし、同じ部内でやっているので、お互い助け合うのがあるべき姿だろう!?と。

 

実際、メールを1通出したり、プロジェクトチームでまとめた資料を経営層に見せて意見を聞いたりといった細々としたタスクを出来ずにそのままにしてあることがよくあります。

 

代わりにメールを出したり、その資料を持って社長のところに行けば済む話ですが、やりません。

 

引き受けるとどうなるか。

 

一回でも代わりに何かをすれば、自分が主担当だとされ、一気に負荷が自分の所に集中します。それ自体は嫌ではありませんが、私の性質上、それをやると自分の限界を易々と超えてしまい、一気に他のタスクに支障が出始めてしまうという事態を引き起こしてしまいます。

 

これは、いわゆる過集中の引き起こす弊害の1つだと思われるのですが、大事なことだと思うと、脇目も振らず一生懸命やり過ぎてしまうんですね。

 

この状態、会社としてはとても助かるのですが、本人にとってはマラソンで10メートルダッシュを繰り返しているようなものです。しかも、本人はマラソンだということを忘れて、10メートルダッシュのことしか頭にありません。確実に自分を蝕んでいきます。

 

アドラー心理学の「課題の分離」よろしく、自分の仕事ではないものに対しては、心を鬼にして手を差し伸べない。これが、自分の特性を考えて出した私なりのやり方です。

 

経験上、タスク管理をどんなに上手くやっていて時間的な余裕があったとしても、この姿勢は貫いた方が良いと思っています。

 

会社員にとっての美徳に背くことになり、かなり自分の良心の呵責に苛まれます。ですが、たとえ自分の隣で大量の仕事を抱えている同僚がいたとしても、実際に頼まれない限り、心の中でごめんなさいを言って帰ります。

 

タスク管理ツールに書いてある自分の仕事以外の仕事には慎重な態度をとるということ。たとえそれが会社や自分の考える美徳に逆らうものであっても、長い目で見れば自分を守る大事な秘策となります。