ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

頭空っぽの効能が分かっている人は強い

頭が空っぽな状態になるには

もう全部やりきった!という時、頭の中に何もやるべきことがない、何かを覚えている必要がない!という時、とても爽快感を覚えますよね。頭が空っぽになった感じです。GTDでは「レビュー」とか「見直し」という作業が、自分をその状態へと持って行ってくれます。これがとっても大事なんですね。

 

頭を空っぽにするための作業

怪しい人についていくと「ただひたすらこのご神体(20万円)に向かって祈るのです!ご利益により頭の中がスッキリするでしょう!さらにご神体にこの鎧兜のアタッチメント(15万円)を装着させると半分の時間でスッキリするのです!振込口座はココ!」などと言われて信じこんでお金を巻き上げられちゃったりします。そんな危ない橋を渡らなくても、十分スッキリできます。

 

それが、タスク管理の王道「GTD」で定義されている手順のうちの「収集」「処理」「整理」を再度行うことです。これをまとめて「レビュー」あるいは「見直し」と言います。

 

仕事で言えば、新しく発生した業務をノートに書きとめ、またはPCでデータ入力し、その目的を達成するための段取りに分解して、その業務をするためのボールは誰が持っているかを明らかにすること。または既存の業務のボールを持つ人が自分から他の人に移ったときに、それを反映させるように書き換えたり入力し直したりすることです。

 

できていないことは全て把握できているし、その気になったときには実行できるという確信を持つことができる

 

これは、GTDの開祖デビッド・アレンが書いた本にある言葉です。さあこのありがたい本を特別に10万円であなたに差し上げましょう!……という怪しいものではなく、先ほど申し上げた「レビュー」を行うことによって得られるものです。

 

頭空っぽの強さ

この状態がどれだけ大事か分かっている人は少ないと思います。脳のメモリが有り余っているので、私の場合は色んなことに気がいくようになりました。ひらめきのようなものも多くなったと思います。そして何より、精神的余裕が得られました。こうなると強いですね。ちょっと苦手な偉い人にもサササッとアプローチできるようになった感があります。

 

頭にたくさんの仕事を入れたままにしておいて会議をしたりメールを書いたりすることがどれだけもったいないことか。案外、自分の頭を過信しているものではないかと思います。

QCサークルがその枠を超えてきている件

毎度のことながら頼りないリーダー

不肖私がリーダーを務めている、社内QCサークル第6班。気がつけば、メンバーが自主的に発言をして流れを作ってくれる良い班になっています。項羽と劉邦で、リーダーシップばりばりの項羽が敗れ、ちょっと頼りない劉邦漢王朝を打ち立てることができた、という逸話を思い出しました。周囲の優秀さに頼ることができるのは大事なんですね。

 

ミーティング

今年から定期的にメンバーのタスク管理実践例を社内配信していこうという企画を実行しています。先月末に第1号として「紙によるタスク管理」と題して、我がQC6班のメンバー、営業事務Sさんのやり方をメールにまとめて配信しました。

 

次回はいつにしようか、というミーティングを先日開きました。これがとてもタスク管理的にシビれる進め方をしております。前回配信のためのミーティングで作った「タスク管理実践例の社内配信」というタスクを分解したものをマニュアルとして、担当者と日付だけ替えてはい終わり!というものでした。誰がするかに15分くらい時間を費やし、5分程度でスケジュールは出来上がりました。このスケジュール進捗のサクサク感!そして、サクサク具合を皆で共有できる喜び!ああたまらない!(笑)

 

懇親会

残りの時間は、結果的にはお互いの仕事でこういう壁があって悩んでいる、といった話になりました。今一番大変であろう部署の営業事務Sさん(さっきとは別の人)の話を聞いているうちに、「これは今月中に懇親会をして吐き出してもらわないと(笑)」という流れに。早速リーダー権限で、メンバーの1人に「じゃあスケジュール調整してお店取ってくれる?」とお願いをしました。

 

果たしてこれはQCサークルなのか?

有り体に言えば「飲もうよ」「メシ食おうよ」なんですが、QCサークルとはこんな感じになるようなものではないと思っていましたので、ちょっと嬉しいです。ただ単に会社の活動の改善提案をするためだけに集められたという枠を超えてきているのではないかという感じがあります。

タスク管理は整理整頓を助ける

捨てられない人

私は基本的に整理整頓が苦手です。「俺もだよ」「私もですよ」と言ってくれる人がいますが、そんなんじゃありません。ゴミ屋敷とまではいきませんが、ちょっと気を抜くとすぐにデスク上が乱雑になってしまいます。小学生の時は、クラスで1、2を争う程身の回りの整理整頓ができていない子でした。

 

整理整頓ができるようになった

それがですね、タスク管理を始めたらデスク上がとても綺麗になったんですね。物を溜めない。積み上げない。

 

社内で席替えがあった時など、今は長くても2、3分で完了します。パソコンとトレー、袖机と椅子を移動させるだけで終わります。

 

以前は一大事でした。席替え先のスペースに入りきらない程の荷物を抱えているので、まずは不要なものを捨てなければいけない。その中から、期限を過ぎた社内リース品継続確認書なんか出てくることもありましたね。対象リース品は、終了の連絡をしないので自動更新がかかってしまい、無駄な経費がかかってしまいます。「ああ、しまった」と思いつつ、見つからないように証拠隠滅するわけです(笑)

 

今は、証拠隠滅行為をしたりして勝手に自分で滅入ってしまうことはなくなりました。

 

どうやら理由はタスク管理か?

自分が整理整頓できるようになった時期は、ちょうどタスク管理を始めた時と同じなんですね。タスク管理のどこが改善の原動力になったのか。

 

私なりのタスク管理手法で、やるべきタスク、言い換えれば自分の仕事を出来るだけ手元に置いておかないようにするという仕組みが、整理整頓に貢献しているような気がします。

 

自分のところに回ってきた仕事は、自分がやるべきことを済ませたら、さっさと次の人に回します。膨らみ続ける風船を渡されたら誰かにすぐ渡したいですよね。その感じです。だから、まず仕事は自分のところにできるだけ滞留させない。

 

そのため、私のタスク管理ツールは、タスクごとに自分がボール持ちかどうかのフラグ付けがされるような仕組みになっています。

 

その結果、仕事について回る書類も次の人へビューッと回します。手元に置いておきません。仕事が流れていく様は、書類がどこにあるかということと同期しているわけですね。

 

つまり、自分のデスク上に書類が溜まってしまう大きな理由の1つは、仕事を自分のところで滞留させるからだ、ということになります。

 

タスク管理でできるだけ早く仕事の手離れをさせるという仕組みを作り、自分のデスク上に物が溜まらない結果を生んだということになりますね。

 

整理整頓がとても苦手だった私にとって、これはもう劇的と言って良い程の改善です。タスク管理の恩恵はこんなところにも出てくるものなんですね。

タスク管理の「見通し」をつけるとは?

「タスク管理」と「希望」

タスク管理を実践するということと希望を持つということは、一見すると別世界のような気がします。タスク管理は極めて現実的で、希望はあくまで理想でしかない、といった感じでしょうか。理想と現実の両極端に位置するものだというのが、一般的な捉え方ですよね。

 

苦悩を突き抜け歓喜ヘ至れ!

ベートーベンの交響曲第5番「運命」は、重々しく悲劇的な短調で始まります。それが、最後の第4楽章では、輝かしく明るい長調になります。この短調から長調という流れは、苦悩にさいなまれるプロセスを経て歓喜の大成功をおさめるというストーリーを形作っています。このストーリーを聴くために、運命を聴くと言っても過言では無いかと思います。

 

タスク管理も歓喜ヘ至る

タスク管理でも、自分のやるべきことを成し遂げるまでのストーリー「見通し」を作るという点で、タスク終了への希望を見出すことをします。

 

遅ればせながら、ここで言うタスク管理とは、2000年にデビッド・アレンが提唱した"GTD"という手法を言っています。このGTDで規定されているプロセスのうち「処理」がこれにあたります。自分のやるべきことは何かを明確に「見極め」て、それを実現するための具体的な「段取り」をつけていくという作業です。

 

見通しをつけるということは希望を持つということ

ということで、タスク管理は完了までの見通しをつけるという点で希望という言葉のイメージに割と近い位置にあるのではないかと思っています。もっと言えば、タスク管理は自分に小さな希望を与え続けてくれる仕組みなのだと言えるかもしれません。

 

深い闇の中の光

ここで、少し前に世間を賑わせた、とある曲の話をします。

 

その曲は、ほぼ全編に渡って重く苦しく悲しげな曲想が、時に激しく時に静かに演奏されます。1時間かけてこの曲が辿り着くラスト数分間は、それまでの重く苦しい何かから解放されたような神々しい雰囲気になります。この構成の意図は、深い闇の中にいてこそ分かる少しの光の大切さというものでした。

 

当時、まだタスク管理も知らず、どのように生きていったら良いのか分からずに苦しんでいた私にとっては、とても心強いエールをくれた曲になりました。タスク管理に完了する希望を見出して自分を実行へと後押ししてもらっているような感じのある今も、この曲に勇気付けられていたことは原点だなと思っています。

 

佐村河内守という名の冠されたこの交響曲第1番というこの曲は、不幸な経過をたどっていますが、私の中では、騒動を巻き起こしたただのオーケストラ曲という以上の存在です。いつの日か、ほとぼりが冷めたら演奏したいと思っています。

 

この音楽が示してくれた「見通しをつけることの大事さ」は、タスク管理を実践する段でも変わらず私にとって大事なものになっています。

自分を何かに向かわせるもの

どうすれば着手できるのか

いつまで経っても手が付けられない仕事に着手できるようになるにはどうしたら良いでしょうか?という質問はよくあります。タスク管理的に言えば、具体的なレベルまでタスクを分解するという回答が定石です。

 

心に直接作用するもの

これをもっと深掘りしていくと、自分自身の心の中で作っている障壁を取り払うことだと思うんですね。具体的なレベルまで細かくして取り掛かるのは「あ、これ私でも出来そうだ!」と思うためです。こうして取っ掛かりの壁を乗り越えて、その先にある目的へ向かっていくわけです。

 

タスク管理で四苦八苦

もっとも、「タスク管理というもの」を身につけたらたちどころに着手できて完了へ一直線とはならないことが多いですね。どうやってタスク管理をしていくか、ツールもたくさんあり、方法もそれこそ無尽蔵にあります。タスク管理は、何か決まった要求事項があってそれを満たせばやったことになるといったものではありません。やり方で迷う人が殆どですね。

 

ちなみに私は、今の自分のタスク管理手法で満足できている幸せな部類らしく、どのツールを使おうとかどの方法を使おうとか、迷ったことがあまりないんですね。そのあたりの経験値は少ないのです。

 

音楽もその方法のその1つ

タスク管理以外の方法で、やるべきことに対して自分を向かわせるものは無いか。私にとっては音楽がそれにあたるかもしれないと思っています。聴いただけで自分を奮い立たせて、一気呵成に何かを成し遂げてしまう。そんなことが可能になるのは、音楽をおいて他にないんじゃないかと個人的には思っています。芸術の力はすごいです。

 

とはいえ、この曲を聴くとこれができますといった、薬とその効能のような分かりやすい効き目があるわけではないですよね。聴くときの自分の状態、周囲の環境にも左右されます。

 

私は「なんとなく自分を鼓舞する曲」「なんとなく自分を落ち着かせてくれる曲」を分けています。タスク管理にこういった音楽による援護射撃を加えているわけです。これって実はすごいのではないかと、今さらながら気がつき始めています。

 

とりあえず、今度仕事前にマーラー交響曲第1番の第4楽章でも聴こうかなと思います。激烈に激しいこの音楽に私がどう影響されるのか楽しみです。

「まだできる」はよろしくない

前向きな言葉なのに

「まだできる」「自分の可能性はこんなものじゃない」「自分を信じる」。どれも前向きでいい言葉ですね。でも、あえて前向きな言葉こそ自分をおとしめかねないと言いたいと思います。

 

もちろん、これらの言葉がどんな状況でもマイナスの意味を持つと言いたいわけではありません。しかし、時として自分を好ましくない方向に持っていきます。

 

タスク管理を継続できる理由

タスク管理を続けるにはどうしたら良いか、という問いがあります。私にとっては、それを続けなければ仕事を失いかねない、社会生活を続けられないという状況だったからなんですね。他の人は他の人なりに、何らかの理由があって続けているのでしょう。

 

私の理由を深掘りしていくと、とことん自分に自信が持てなくなったからという深淵にたどり着きます。誰かから依頼されて、依頼内容を実行し、確実に完了させる。これができる自信が完全になくなったんですね。

 

自信をなくすメリット

実は自分にとってはここが境目でした。自分に自信が少しでもある状態というのは、誤解を恐れずに言うと、少しおごっている状態なわけです。実行する前から「そんなことはできるに決まっている」と信じて疑わない。予想外に手こずってしまいその確信が外れる結果に終わったとしても平然としているんですね。

 

その程度「おごり」は誰でも持っているわけですね。生活を送る上で、毎日「今回ばかりは電車に乗れないかもしれないぞ」とか「今日は出社してもパソコンを起動できる気がしないのです」とか、あり得ないですね。

 

極端な例を出しましたが、そのくらいのレベルのことすらできない、というのが私の経験した「とことん自分に自信が持てなくなった状態」です。

 

そして、そのような状態だったからこそ「その程度の仕事だったらメモなんか取らなくてもいける」とか「どうしたらいいか分からない仕事があるけど、いつかスッと分かるだろう」とか考えることが、恐ろしくてできなくなるのです。その結果、記憶に頼らず記録をとり、単純な仕事も具体的なレベルまで行動を細分化し、まるで子供に教えるかのように業務タスクを進めるようになりました。これが後から考えるとタスク管理によく似た私固有の仕事のやり方となりました。

 

「まだできる」「自分の可能性を信じる」は、決して悪いことではありません。ただし、そこには必ずごく少量の慢心が潜んでいます。仕事を抜け漏れミスなく進める障害になることが、時としてあります。それを潰すには、そんな自分の慢心の存在を認めて対策を打っていくべき場合もあるというのは覚えておいて損ではないと思います。

 

机の上

監査対応

当社が大々的に受ける監査の担当者として、一日監査員と共に会議室に篭りっきりになるという日がありました。

 

自分も監査される対象となり、さらには他の場所も対象となる際も同席する一日でして、かなり疲れました。

 

このためにいくつものタスクを先送り

この監査のため、当日はその監査を受けるというタスクしか実行しないと部内で宣言し、2、3日前から問答無用でその他のタスクを先送りしました。監査対応に集中するためです。その日に他のタスクもやろうとしていると、他のタスクの影がチラついて監査対応に専念できないからです。

 

それにしても乱れる

そう決めたからと言って何の後ろ髪引かれるようなことは無いのですが、明らかに監査対応タスクを優先したがために、いくつものタスクが「当方ボール持ち」のまま2、3日の間、タスク管理ツールの中でデンと偉そうに鎮座ましましているわけです。意識だけの問題かもしれませんが、タスク管理ツール上の状態が乱れてしまった、という感じでした。

 

ツールだけでなく

審査当日は、ツールだけでなく机の上も、こんな短時間でこんなに乱雑になるものなのか!?と驚くような状態になっていました。

 

懐かしさを覚える

この机の上の乱れっぷりを指差しまして、隣に座っている元上司は「お、なかなか混み合ってるね」と声をかけてきました。私はこの乱れた机の上にどこか懐かしさを覚えました。

 

そうなんですね。整頓されていないデスクの上は、私にとって思い出深いものです。タスク管理以前の私の机の上がまさに整理不行き届き状態でした。そして、その頃そっくりに再生されたことに呆れつつ半ば感動しました。

 

机の上

数年前の私の乱雑なデスク上とほぼ同じような光景を前に、隣にいる元上司には「これが私です」とカミングアウト。タスク管理がなければそんなものなんだな、と改めて思いました。

 

これを放置しっぱなしだと以前の私そのままですが、今はバサバサ机の上に置かれた書類を、1つずつ整理して、適宜ツールに登録していきます。これで以前の自分からタスク管理をやってる自分に変われます。

 

変なところで懐かしさを覚えしまったお話でした。