100個以上のタスクの全部の「次の行動」が分かる一覧表示にうっとりする
タスク一覧画面
我ながら壮観だといつも思うのが、このタスク一覧の画面です。
特筆すべきは、自分が今抱えている全ての仕事タスクがこのエクセルのシートに収まっているということ。
その結果、ここさえ見ていればやり漏れは発生しないという絶対的な安心感に満たされます。同時に、ここに載っていることじゃなければ自分の仕事ではないという大きな自信も得られます。
生きているタスク
ここに載ってきているタスク達は生きています。完了まで到達せず、絶えず誰かが何らかのアクションを起こして変化が生じています。100個以上のタスクがひしめき合って動いており、100個とも別々の動きをしています。
情報量の多さに圧倒
1つ1つをとってみれば取るに足らない情報量ですが、それらが集合するとものすごい量の情報になります。昔のSF映画で、ピコピコ近未来的なノイズがBGMとなって現れる集中操作室にあるでっかいコンピュータを思い出させます。その表現が指し示すものは、人間のコントロールできる範囲を超えた複雑すぎる情報処理をやっている感です。
確かに、100個以上のツマミをせわしなく上げ下げしているのと同じようなことをタスク管理ツールではやっています。複雑な様相を呈しますよね。そして、それを見てハッと気付きました。(自分の)人智を超えている。
こんな数のタスクを覚えて、しかもそれらの途中経過報告をいっぺんに表示させるなんて、脳内では絶対無理です。ちょっとやそっとじゃ管理しきれない感じが半端ないです。「うわー、これ自分の頭じゃ逆立ちしたって覚えきれないな」という量をツールが目の前に提示してくれているという事実に戦慄。自分の能力の拡張もここまできたかという感慨もあります。
タスク管理は、日常的なタスクを管理するので、現在抱えているタスクの数がものすごい数になることもしょっちゅうあります。「こんなにたくさんのタスクを走らせていて、よくこんがらないでいられるなぁ」と感心することしきりです。
主を混乱させないどころか、安心感や自信まで与えてしまうこのタスク一覧表示、我ながら1日に何度も見ては悦に入っています。
「行間を読む」習慣とタスク管理
行間を読む文化
日本語は最近よく聞かれる「忖度」という言葉の存在からもわかるように、行間を読む文化といってよいと思います。書かれていないことや言われていないことを読み取らなければ、コミュニケーション不足と言われますね。
そんな日本語に関する素晴らしい記事を読みました。
行間や空気を読めないとコミュニケーションが成り立ちづらい「高文脈文化」の最たるものとして日本語が挙げられています。そしてその逆「低文脈文化」の典型、つまり全て言語化するのがドイツ語なのだそうです。無駄に長い(と思ってしまう)単語が多いのはそのせいかと思います。
高文脈文化の問題
私は、発達障害の影響がちょっとあるのか、その範囲でないのか分かりませんが、話された言葉や書かれた言葉で判断しようとする傾向があります。
ツイッターで「忖度」をドイツ語訳すると恐ろしい訳文になるというつぶやきが話題になりました。
(森友の件で言う)「忖度」に当たるドイツ語はvorauseilender Gehorsam、直訳すると「先回り服従」。権力者の直接的な命令に対する服従ではなく、権力者が期待する行動を下位者が自主的に推測して行う服従。ホロコーストが行われたメカニズムとしてよく引き合いに出される。
こういった「そこまで言っちゃうと身もふたもないが、まぁそういうことだよね」問題は、何も国会に行かなくとも身近に存在するのではないかと考えています。
タスク管理を進めるための言語化
多分、タスク管理をキチンと進めるには、ドイツ語よろしく大部分を言語化するのが適していると思います。仕事を確実に進めていくため、指示内容を明確にしようと確認すると、時々「まぁ、いってしまうとそうなんだけどさぁ」という展開があります。
「なる早で」
「いつですか?」
「うーん、いつでも良いんだけど、なるべく早く欲しいな」
「じゃあ来週の頭で良いですか?」
「う〜ん、じゃそれでいいや」
こんなやり取り、割とあります。タスク管理をする上で、期日を仮でも設定したいんです。タスク管理を使って真摯に仕事をしようとすると高文脈文化の壁が立ちはだかります。これは避けがたいようです。
全部のタスクのボールがなくなった日
「当方ボール持ち」がなくなる
GTDでは「自分が次に取るべきアクションリスト」というものがあります。収集したタスクを分解してわらわら出てきたアクション(タスクを分解したもの、とここではお考えください)のうち、今自分が手をつけられるもの、自分がボールを持っているものを集めたリストです。私は各タスクに「当方(ボール持ち)」というフラグをつけています。そのフラグが付いたものの集合が「自分が次に取るべきアクションリスト」ということになります。
自分が次に取るべきアクションリストからアクションがなくなったのです。
※当方ボール持ちの数字が0になっています。
タスクがなくなったわけではない
誤解なきよう申し上げますが、仕事がなくなって閑職に追いやられたわけではありません。タイミングがたまたま合っただけです。投げられてきたボールをただただ投げ返していた結果、手元にボールが残らなかっただけということです。とはいえ、それだけ自分への負荷が少なくなったということなので、嬉しいことです。
仕事を抱えるということ
「仕事を抱える」という考えには2つあると考えています。1つは、GTDによる「収集」した結果、タスク管理ツールにタスクが乗っかってくること。もう1つは、それらのタスクを細かいアクションに分解し、そのアクションが自分ボール持ちであるタスクがあること。
背負い込み過ぎの考え方
仕事をたくさん抱え込んでしまって爆発寸前!といった人は、上記の前者のみ考えている傾向があるのではないかと思います。
よく考えたら隣の〇〇さんにパスした仕事なのに、自分が何かしなきゃいけないんじゃないかとアワアワしてしまっていたり、といったことはありませんか。自分はありました。リマインドをするといった程度を超えて、他人がやるべきことに対してクヨクヨ考え過ぎていました。面倒見が良いと言われる行為なのであまり危機感を抱くことはありませんでしたが、今となっては、一旦手離れしたタスクに気を揉むくらいなら、別の自分ボール持ちタスクのアクションを実行した方が良いと思えるようになりました。つまり、後者の考え方を取り入れることができたわけです。
困ったことに、前者のみを「仕事を抱える」と捉えるタイプは、とても真面目な人が多く、必要以上にたくさん責任を持ってくれるので、周りからもその考え方が歓迎されがちです。舵を別の方向に自分で切る必要があります。舵を切る方法は「(ちょっと)不真面目になる」です。こうなっている方、オススメです。
1時間後のリマインダー
常務から依頼
先日、昼休み直前に「取引先の〇〇株式会社との契約書のコピーを共有して下さい」との依頼メールを受け取りました。
そのメールは他にも、別の取引先との契約書を作って欲しいという旨と、その内容についての注文がかなり長文で書いてありました。どちらかというと、契約書作成の方がメインで「あと、そういえば」程度のお願いが、冒頭の契約書コピーの共有でした。
めいっぱい昼休み
昼休みは、いち早く弁当を食べて、昼寝をすることにしています。あまり寝られない時もあります。よく寝られた時は気分もスッキリとなり、気持ち良く午後の仕事をこなすことができます。そのために、昼休み中は仕事のことは頭から抜けてます。タスク管理ならではで、「自分の仕事タスクを信頼できるシステムに預ける」ことで、頭からやりかけの仕事の不安がなくなるという現象が起こります。厳密に言うと、仕事のことを全部忘れるというのではなくて、忘れられる安心感を手に入れられるということです。
午後の仕事開始
そして、午後の仕事が始まります。そういえば午前中こんなことやっていたからその続きをしようとか、電話応対をしたり、突発的な相談に答えたりしていたところ、すっかり忘れていたんですね、常務に契約書のコピーを渡すのを。
なぜ「忘れていた」とここで書けるか。それは、思い出せたからです。どのようにして思い出したか。これは、茂木健一郎のアハ体験のような感じ、あるいは一休さんのポクポクチーンのような感じで、自力で思い出せたわけではありません。
ツールがリマインド
タスクをこなすごとに、私はタスク管理ツールに戻ります。戻って「このタスクのこのアクションは完了…っと」という感じでフラグを都度立てています。そこに未完のタスクが一覧表示してあるので、「さて、次のタスクは?」と次の行動を選択していきます。そこにあったんですね、「常務に契約書のコピーを共有する」というタスクが。自分がやるべきタスクである旨のフラグの赤い表示が目に飛び込んできました。ツールの表示が「おお!そういえば今日常務からのメールにチョロっと書いてあったアレだ!」と私に思い出させてくれました。
タスク管理以前の自分であれば、そのタスクの小ささから「これは覚えておくから大丈夫」とか言ってメモにも残さず、忘れてしまっていたことでしょう。タスク管理、そしてそのツールのありがたさを再確認しました。と同時に、自分が相変わらずであることも(笑)
こういう体験も、タスク管理を継続していける源かもしれませんね。
ゴールを「見極め」て、明らかにする
その仕事は何のため?
言われた通りにやって終わりにしない人は優秀な人ですね。これ、GTDの枠組みで理解すると分かりやすいんです。
GTDは、そのタスクのゴールの「見極め」というのを必ず行います。そのタスクを何のためにするのか。例えば、「福利厚生制度として〇〇リゾートホテル割引宿泊制度を入れて欲しい」というリクエストがあった場合、そのリゾートホテルとの契約をして、申込手続を決めて、最終的には社内に告知をしなければ意味がありません。最終的にはどうなっているべきなのかが分かっていると、言われた通りのことだけやって終わりの人にはなりません。
ゴールがあると軸を見誤らない
さしあたっての指示や慣習と違っても、結局正しい方向へ向かえる軌道修正ができたりします。上の例で言えば「役員だけ対象の都市にある高級ホテルの宿泊割引がある」という情報が来ても「それは社員全員への福利厚生ではない。何のための福利厚生か。」としてはねることができます。
GTDの「見極め」の効果
冒頭で書いたように、タスクの見極めがGTDでは必須とされているので、ブレずにタスクを実行して完了することができます。ブレないということは、それだけ寄り道が少なくなる。無駄が少なくなる。つまり、見極めをすることによってスピードが上がるということです。
目的が分からなかったら?
とは言え、指示されたタスクの目的の見極めが、全部が全部できるとは限りません。そんな時はどうするか。私は、依頼主に聞くようにしています。その人たちも分からなかったら、そのタスクはやる必要がないはずです。あるいは、もっと別の目的を持ったタスクに差し替える必要があるかもしれません。是即ちカイゼン也!
目的が分からない場合でなくとも、タスクの依頼主と目的・ゴールをあらかじめ決めておくことは大事だと思います。あとから「そんなんじゃなかった」とハシゴを外されないためにも。
鞄を変えると整理がはかどる
鞄を変えた
先日来より懸案だった、鞄の買い替えをやっとコンプリートしました。持ち物や服装に無頓着なもので、多少ほつれたり壊れたりしていても、自分の出来る限りの手直しで使い続けられるなら、使います。物を大事にするというよりは、新しい鞄を選んで買うという行為が苦手だからです。
手直しと言っても、ほぼ手直しと言えない応急処置をしたまま使い続けていました。鞄を斜め掛けするために必要なベルトと鞄を連結する金具部分が壊れたので、紐で何重にもぐるぐる巻きにして固結びをして固定し「紐カバン」と命名し権威付けをして、新しい鞄を買うことから逃げていました(笑)
何が入っているのか把握
新しい鞄を買って、タスク管理の「収集」にも似たすっきり感がありました。鞄の中に何が入っているのかが把握できているのです!地球において深海は宇宙並みにまだ人類に知られていないらしいのですが、私にとって鞄の底の方は深海並みに未知の領域でした。何があるかわからず、時折何かのはずみで底の方の物が浮上してきます。使わなくなったペン、レシート、ガム、飴などなど。
こういったものが一切入っていない鞄、スッキリするものですね(笑)
不安が少なくなる
鞄の中にあるものが半強制的に整理されたことで、「鞄の中には、どこにあるかわからなくて、探したら鞄の中から出てきてしまう可能性のある物」が無いという安心感が出てきました。こんなこと偉そうにいってないで、さっさとやりなさいって話なんですけどね。よく恥ずかしげもなく言えるなぁと(笑)
「把握」による精神的負担の軽減
この安心感は、タスク管理における「収集」プロセスの効能です。自分の持ち物を明確に把握できていることによる、精神的負担の軽減です。もしかして、整理整頓がきちんとできる人は、このスッキリ感が報酬となって実行できるのでしょうか。
そして、今現在はこんなこと言っていますが、何せ仕事タスク以外はタスク管理をしないので、数週間、数ヶ月後は、また鞄に未知の領域ができているかもしれません。そんな時に整理をしなくてもいいように、日頃から荷物を増やさない、捨てる、を励行したいと思います。
タスク管理で得た境地を超える人
タスク管理で得られる境地
タスク管理をすると何が得られるかというと、例えば仕事が早く終わるとか、抜け漏れが無くなるとか、クリエイティビティが増すとか言われています。ただ、これはその先にあるものの途中の段階でしかありません。最終的には、やりかけの仕事がかけてくるプレッシャーから解放された状態、GTDで言う「水のように澄みきった心」の境地に到達することが目的です。「ま、いっか」と言える精神状態とも言えます。
別の方法で到達できないか?
ならば、もっと違う方法で水のように澄みきった心に到達できないかと考えたりします。そこまででなくても、せめて仕事上のミスをしても気にしない、一晩寝ればケロッとしているような、そんな気持ちの待って行き方を習得したいものです。自分のミスを開けっぴろげにし、笑い飛ばせる境地。憧れます。
灯台下暗し
自部署に、まさにそれにピッタリな人がいたことに気が付きました。別に「小さいことは気にしない!」といった豪快な人ではなく、どちらかと言うと遠慮がちで、あれやこれやと考えて気に病んだりするようなタイプです。しかし、自分が何かミスをした時でも「ヘッヘッヘッ」と笑って、 不思議にその場が和ませてしまう人徳を彼女は持っています。
保険組合の冊子配り
先日、保険組合から従業員宛に届いた冊子を配っていた時のこと。特集記事に「組合員の皆さん、潮干狩りを企画しました!こぞって参加申し込みを!」という内容がありました。配り始めて彼女がつぶやきます。
「あ、申し込みの締め切り過ぎてた……」
配った日の4日前に締め切っていました。もうその時点で我が部署ではクスクス笑っているのですが、彼女はそれをネタにして「ヘッヘッヘッ」と笑いながら配って歩くのです!
さすがに上司からは説教されていました。
「なんで早く配らないんだ?」
「いや、でも最近届いてー(だから締切の設定が早過ぎたと言いたい)」
「いつ?」
「もうホント最近なんですよー……1週間くらい前…」
「それは最近とは言わない!」
「あ、でも入口の所に私告知を貼ったような」
「(貼っていないことは全員知っている)言い訳だッ」
「はいっ、すみません!……ヘッヘッヘッ」
ひとしきり終わった後、彼女は組合に今から申し込んでも大丈夫かと確認の電話を入れていました。電話口で参加人数を質問されたようで、その時も「まーそんなたくさんはいないですけどねエヘヘ」といった具合で、とても自由な感じで業務にいそしんでいます。
私だったら、「やってしまった……」と落ち込んで、まず2日は引きずります。連発でもしようものならもう大変です。それと、こんな会話でもしようものなら、上司の神経を強く逆なでして、大きな雷が落ちることでしょう。
やりかけの仕事のプレッシャー
彼女の心中を覗くことはできませんが、それでも毎日元気に出社していることから、彼女は独自のやり方、つまるところその天然の人徳を余すところなく発揮することで、やりかけの仕事のプレッシャーを軽減しているのでしょう。私はタスク管理を実践することでやっとできたことを、彼女は軽々と飛び越えているわけです。
今から彼女を目指すことはできませんししませんが、タスク管理に没頭して狭くなっている視野を広げるのに、とても良い環境にいるなと感謝した次第です。