ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

第11&12回「自分は要領が良くない、と思い込んでいる人のための仕事術」開催!

回を重ねるにつれて……

昨年9月から本日で12回開催することになります。今年から1年かけて発達障害をテーマとした特集番組がNHKで組まれることになり、以前より発達障害に対する関心は高まっているような、そんな気がしています。

www.kokuchpro.com

 

ただし、世間的にはそんなに認知されていないであろうと思っています。「趣味の園芸」が実は50周年を迎えていて、そのアニバーサリースペシャルサイトができている、とか私は知らないです。そんな感じだと思います。

 

それでも継続的に回を重ねているのは、そんな認知度でも、いや、そんな認知度だからこそ意味があると思っているからです。

 

このイベントの価値はどこにあるのか
このイベントは、あくまで私の個人的な体験をお話するだけなので、世の中の発達障害当事者の皆様に当てはまるとは思っていません。私は、発達障害の中のADHD(注意欠陥・多動性障害)の不注意優勢型で、おそらくそんなに重くはないです。発達障害には色々な人がいます。そんな方々も全員含めて、私が全部どうにかします!などと大それたことは言えません。

 

しかし、それでも私と同じような傾向・程度の方は相当数いると考えています。そして、そんな方々は、私と同じく、いわゆる健常者と対等に仕事で渡り合えるのは結構難しいはずだと思います。その難しさにどう対処していくか。そこに「自分のやり方を工夫することで、対等に渡り合えるようになった」という私の体験をお伝えする価値があると考えています。

 

例えば、車椅子を使っていれば、見た目に分かりやすいので周囲の理解はあるでしょう。しかし、発達障害は、そこまでの理解が浸透しているとは思えません。外部から見えないので、ただ単にトロいとか注意が足りないとか言われがちなのではないかと思います。

 

だからこそ、まだ自分で自分のことをどうにかしなければいけない、自分のできることのレベルを引き上げて、その上で自分の特性について把握し周囲に具体的に対応策をお願いできるようにならなければいけない。

 

……といった気づきが、参加者の皆さんに生まれるようにお話したいと思います。

 

今回もまたお世話になりますEXP立川さん!
ご縁がありまして、障害者就労移行支援を行なっているEXP立川さんより会場をご提供いただいております。EXP立川はうつ病など『軽度のメンタルヘルス系疾患』からの復職・就職を希望する人に向けたトレーニングを提供することを目的としています。約10年前、私が仕事ができず悩んでいた時期にこんなところがあったら良かったのに!と思っています。

exp.or.jp



そんなこともあり、今回もまた現在、休職中、あるいは転職検討中で、次の仕事に不安を感じている人対象としています。そのような人のためにも、より具体的で実践的な内容にしていきたいと思っています。

ご参考までに、告知ページの紹介文を下に書きます。

開催までの経緯
生来の不器用で仕事が上手くいかなかった私はタスク管理で変わることができた体験を話したい!と前々から考えておりました。

そんな時に「シゴタノ!」主催の大橋悦夫さんのイベントでF太さんと話す機会があり、実は同じような企画をしたいと思っていたとのこと、衝動的に「やりましょう!」と話していました。

F太さんの「ひらめきメモ」は本にもなり、フォロワー数も複数アカウント合わせて30万(!)。その示唆に富んだ呟きのクオリティの高さは、支持する人の多さがそれを物語っています。人生に対する「気づき」を皆欲しているのでしょうね。

 

私のしくじりっぷり、タスク管理でそんな私がどのように立ち直っていったか。そして、半分聴き手の立場にいるF太さんによる絶妙な問いかけや合いの手が、よりこのイベントの内容を深く濃くしてくれます。

 

このイベントの参加対象

興味ある方全員、ではありますがとりわけ以下のような経験が当てはまる方に是非いらしていただきたいです。

・現在、休職中、あるいは転職検討中で、次の仕事に不安を感じている

・仕事をつい先送りして地雷化させてしまう

どうやったら良いか分からない仕事を前にウンウン唸って時間だけ過ぎていってしまう

抜け漏れ忘れがしょっちゅうある

些細なミスも重大に受け取ってしまったり、他人のミスを自分がこうすれば良かったんだと自分のせいにしようとする

・1つの仕事に集中できず、結果どの仕事もなかなか完結できない

・机の上やパソコンのデスクトップがどうしても整理できない

・上記の悩みを持つ方のご家族、上司、部下

 

このイベントに参加することで得られること

・ダメダメな小鳥遊がタスク管理を取り入れてどんな変化が起こったかが分かり、自分はやっていけるかもしれないという「安心」

・小鳥遊が実践している「タスク管理の具体的な方法論」

・上記に対するF太さんの質問、コメントによる「気づき」「ひらめき」

 

・その他、質問に対してイベント中は常時(≠随時)喜んで全力でお答えします!

タスク管理を本気でやるには

良いものだけど、やらない

タスク管理の話をすると、ほとんどの方がいいねと言います。ただ、やってみるかという段になると途端に「いやちょっと今は忙しくて」「今はアレなので」「それより仕事しなきゃ」など言って離れます。うーむ、残念。

 

説明だけ聞くと「いい」と評価してくれるんですよね。でも勧めるとやろうとしないというのは、どういうことなのか。

 

めんどくさい
今の作業量に新たな作業「タスク管理をする」が追加されるので、ますます面倒臭くなるだけなんですね。これはめんどくさいですね。分かります。

 

本気になる
では、タスク管理をやっている人たちはその面倒臭さをどう乗り越えているのか。それは一言でいうと「本気になる」です。タスク管理をするという作業自体が追加されることをやむなしとして腹をくくることです。では、なぜ腹をくくることができるのか。

 

面倒臭いことができるには
腹をくくることができる理由はただ1つです。「それよりもっと面倒臭いことを避けるため」です。私の場合は、タスク管理をしないと仕事がもとまらず、散在してしまってその存在を忘れてしまうという最高に面倒臭い展開が避けられないからです。

 

それなら自分もそうだと思う方は多数いると思います。でも、だからと言ってすぐに行動を起こせる人は少ないのではないでしょうか。私もそうです。タスク管理イベントのたびに「あれ、個人用名刺どこだったっけ?」などと、毎回余計なタイムロスを家でしています。その度に「置くところを決めておこう」と決めるのですが、結局帰ってくると適当な場所にファサッと置いてしまうのです。

 

本気になる原因
ではなぜ私がタスク管理を継続できているのかというと、史上最高に痛い目に遭ったからです。もう自分は社会人として生きていけないかもしれないというくらいに思ってやっと「こりゃ何か手を打たないといかん」と思えるようになりました。

 

「痛い目に遭わないと人は変われない」という、あまり受け入れたくない教訓が頭をよぎります。私にとってはタスク管理を本気でやるきっかけはそのような顛末でした。

 

本気まで出さなくても
もうちょっとライトに始めたい、痛いのは嫌だ、というのが心情ですよね。まずはちょっとずつやってみることをお勧めします。月並みですが、ちょっとやっては辞めて、またちょっとやっては辞めての繰り返しで、なんとか少しずつ軌道に乗っていくのではないかと。

 

何であれば、タスク管理についての本を読んだり、ネット上の記事を読んだり、トチ狂ったタスク管理マニアのSNSアカウントをフォローしたりするのも良いかと。誰かをdisったり喧嘩したりしない平和な世界です。よろしければ是非ご一緒に。

「仕事になりそうなもの」の断捨離

のきばトーク第50回拝聴
タスク管理界隈の有名なお二方、佐々木正悟さんと倉下忠憲さんの来談ラジオ番組「のきばトーク 第50回」、拝聴しました。テーマは「タスク管理と情報整理」。

www.youtube.com

 

「タスク」と「情報」の違い
番組の中では、「タスク」と「情報」の位置関係について話がありました。「情報」で辞書をひくと「1.ある物事の事情についての知らせ。2.それを通して何らかの知識が得られるようなもの。」とあります。私のイメージでは、情報の部分集合がタスクです。たとえば、「業務スペースに印刷用の紙が積んである」「業務スペースにゴミが落ちている」は両方とも「情報」ですが、後者は「落ちているゴミを拾う」という「タスク」に変わります。

 

「情報」の「タスク」化
「業務スペースにゴミが落ちている」という情報から「ごみを拾う」というタスクに変えるのが、情報のタスク化です。社内の備品のトイレットペーパーが足りなくなっていれば「トイレットペーパーを追加発注する」というタスクに変わります。それこそ「この案件の見積もりを作って欲しい」というメール(情報)が取引先担当者から来れば、「取引先担当者へ●●案件の見積書を作成して送る」というタスクになります。

 

逆に「業務スペースに印刷用の紙が積んである」だけでは、何のタスクにもなりません。「入口の扉が開いたり閉じたりしている」様子が目に入っただけでは、何もやるべきことは発生しません。我々は、常に情報を取捨選択してタスクにしていると言えます。ここに、タスク飽和に陥ってしまうかどうかのヒントがあるような気がします。


タスクにならない情報
背負うタスクが多すぎて自分が潰れてしまっては元も子もないですね。いかに「情報」をタスク化させないかが重要だったりします。例えば、オフィスの窓ガラスが汚れていたら、「よし!私が拭きます!」と「窓ガラスを清掃する」というタスクを自分に課しても問題ありません。一方で、ビルの清掃業者が定期的に窓ガラスを拭いてくれるから、わざわざ自分で拭かなくても良いとしてタスク化させない「ただの情報」に留めておくというのもありです。

 

思うに、タスク管理で仕事を効率化できている人は、情報をタスク化させないという判断がより多くできる人なのではないかと。

 

「タスク」の「情報」化
また、タスクをまた情報に戻す、というのもありかなと思います。私の自作タスク管理ツールでは、期限が決まっていないタスクはいつかやれればいいという意味の「いつか」というフラグを立てています。「今すぐじゃなくていいんだけど、いつかこの仕事をマニュアルにまとめてよ」と言われたら、「●●業務マニュアル作成」というタスクになりますが、フラグは「いつか」です。そして、きっとやらない気がします(笑)このフラグが立ったタスクは今まで実行した試しがありません。半年に1回のタスク棚卸の時に削除される運命になることが多いです。

 

ただの情報であるとして見過ごすのはよろしくないが、かと言ってすぐに何かアクションをおこすべきでもないもの。そんな宙ぶらりんな「情報」ってあると思うんですね。そういうのは「いつか」フラグを立てておいています。ある意味、タスク性(やらなければいけない緊急度)が低いので、「タスク」の「情報」化と言えるでしょう。

 

仕事になりそうな「情報」の断捨離の必要性
会社で働いていると、仕事になりそうな「情報」はそこかしこにあります。そしてそれらを「タスク化」することで会社の発展に貢献できる、とされています。しかし、それが行き過ぎてしまうと、自分のキャパシティを超えて身の回りの情報をタスクとして収集してしまい、それらの重みに押し潰されてしまったりします。まぁ、私なのですが。

 

必要以上に情報をタスク化しない、つまり「仕事になりそうなものの断捨離」は、業務の効率化、そしてストレスフリーな心を手に入れるためにはとても役に立つものだと思います。

デスクに砦を築いてしまう人

周囲を寄せ付けない仕事の砦
あまりに大量の仕事は、それ以上自分に降りかかってくる仕事たちを蹴散らしてくれるときがあります。さながら、大阪城に攻め入る徳川勢を寄せ付けない、あの出城のようです。

 

「城の名は、なんとします?」

 

「決まっているだろう、真田丸よ!」

 

(ここで鳴り響く「真田丸」オープニングテーマ!!)

 

あ、すいません。大河ドラマ真田丸」が大好きだったもので、つい……。

 

堺雅人演じる真田幸村よろしく、自分のデスク上に築かれた仕事の書類の山を指して「真田丸よ!」とか職場でひとりごちる人がいたら、それは早々に戦から撤退した方がよろしいかと。

 

その砦は守ってくれるのか?

仕事の山は、その人の「忙しさ」を演出してくれます。多少のミスや取りこぼしがあっても「あの人は忙しいから、多少の抜け漏れがあってもしょうがないよね」「その分、他の人がフォローしてあげればいいよね」という雰囲気になります。実際、それでへっちゃらな人、すでに周囲にフォローしてくれる人を配置できている人はそれで良いでしょう。

 

問題は、抜け漏れやミスを気に病んでしまう真面目な人、周囲にフォローしてくれる体制が無い中でやらなければいけない人です。

 

タスク管理メソッド”GTD"の開祖デビッド・アレンは、仕事の山を積み上げる人についてこんなことを書いています。

たいていの薬は、一時的に現実の厳しさを和らげてくれる。侵入してくる異物への反応を鈍らせてくれるからだ。

 

やりかけの仕事の山を自分の周りに砦のように積み上げていると、外界からの情報への反応を鈍らせてしまう。

 

そしてこの状況がさらにひどくなると、自分にとって都合の悪いことや、なにやら難しそうなことを先のばしにしたり、さらにひどいことには無視したりするようになる。

 

しかも、職場においてはそうすることはかならずしも恥ずかしいことではない。「ひどく忙しい」とは、つまり職場で「重要視されている」とみなされることもあるからだ。
(ストレスフリーの仕事術「仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

「重要視されているとみなされている」と思うだけで居場所ができたと安心できる人は良いですが、普通の神経をしていれば、押し寄せてくる大量の仕事をさばき切れず、そのプレッシャーに耐えられないで倒れてしまうのではないかと思います。

 

それでも敵兵を倒し続けなければいけない

戦国時代の戦と違って、攻めてくる敵兵(仕事)は、倒さずに城にこもっていればいるほど増えます。しかも、時間が経って締切が過ぎてしまうと敵兵は百発百中のガトリング砲をぶっ放してきます。

 

もちろん、押し寄せてくる敵兵がどんなもので、どれくらいいるのかは把握すべきで、それを元に戦術を練る必要があります。しかし、一度戦場に降り立てば、短期決戦で敵兵が攻めてくるたびにバッタバッタと斬り倒していくのが正攻法です。たまに自滅する敵兵もいますが、籠城して敵が引き上げるのを待つという策は、仕事にはありません。

 

職場という戦場での日本一の兵(ひのもといちのつわもの)は、砦は作らずに、ひたすら敵兵を倒し続けるものなのかもしれません。「でも、仕事が溜まっちゃってー」と言い訳する人には「黙れ小童(こわっぱ)!」と雷を落としてやりましょう。

仕事の手綱を握る

仕事に追われる
やってもやっても仕事が降ってきて、終わった気にならない。一段落して退社しても帰路や帰宅後にも仕事の幻影が頭をよぎって、不安な気持ちが止まらない。こんな経験無いですか?タスク管理を始める前の私は、まさにこの状況が毎日続いていました。

 

仕事に追われない状態とは
仕事に追われる状態を抜け出すとは、具体的にどんなイメージでしょうか。シュバババとすごい勢いで手を動かしてあっという間に作業を終わらせるような光景を思い浮かべていやしませんか。そんな幻想みたいなこと、実現不可能だということはよくお分かりかと思います。手を速く動かしさえすれば早く完了するような仕事ばかりではないですよね。

 

では、どういう状態が「仕事に追われない状態」と言えるのか。

 

私の実感では、退社時に会社に置いていく仕事の数量が格段に減ったという感じはありません。むしろ、会社にどれだけの仕事を置いて退社しても気にならなくなり、仕事に追われている気がしなくなるという変化が「仕事に追われない状態」になるということなのではないかと考えています。言い換えれば、暴れ馬を乗りこなしてうまく手綱を握っている状態とも言えるのではないかと。

毎日の仕事の手綱を握り直すために、1週間の終わりに1時間か2時間の時間をとることが絶対必要だ。しかし、それには、かなりの訓練が必要となる。たいていの人は、このような、このようなレビューがあたかも「できたらいいけどそんな時間はないんだ」的な仕事だと思ってしまう。しかし、これこそが「忙しすぎて何を考えていいのかわからない状態」を止める唯一の方法だと、気づいていない人があまりにも多い。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

手綱を握らなければ、暴れ馬を乗りこなすことは相当難しいです。すぐに振り落されてしまう。無理と言っても過言ではありません。これが「忙しすぎて何を考えていいのかわからない状態」です。

 

手綱できっちり馬をコントロールするためには、常に握っていなければいけないですね。その手綱を握り続けるということが、タスク管理ツールに常に現状を反映させるということです。手綱を握るというイメージよりも、より面倒くさいですね。

 

デビッド・アレンは、週に1回、1~2時間を、タスク管理ツールの各内容を現実の状態に合わせるために費やしなさいと言っています。私はそれでは足りないと思いますが、いずれにせよ「タスク管理ツールを使い始めました!けど、更新するのが面倒臭くて結局何の現状把握にも役立ちません!」では宝の持ち腐れになってしまいます。

 

「現実に振り落されそうな人」問題
振り落されそうになってアップアップしているのに「でも手綱を握る必要は無い!なぜなら面倒くさいから!」と言っているのが問題なんですね。傍から見れば「ほら危ない!手綱ちゃんと握って!」と思っているのですが、今にも落馬しそうな当人に握る気がないのが歯がゆいですね。落馬しないと分からないのかもしれません。

 

落馬してからでは遅いということがお分かりの賢明な方は、是非手綱を握る練習をしてみて下さい。握ること自体はさほど難しくないです。ただ、握り続けるのは、ちょっと辛抱が必要です。私もかれこれ3年くらい握り続けています。よろしければ是非ご一緒に。

大学受験で起こった奇跡

 

こちらのツイートをして思い出したことをつらつらと。

 

「モチベーションは上げられるのか?」
モチベーションや意志力と言われるものは、割とたやすく「上げろ」と言われますが、言われた通りに「では上げます!ソオレー」と上げることはほぼ不可能ですね。それができる人は超能力だと思っていいです。

 

タスク管理では、モチベーションを上げるというより、自分のモチベーションはそのままにして、やるべきことの壁を低くするという考え方を採ります。

 

「経営会議資料を作る」というタスクがあったら、まずは「各営業部の実績を収集するために経理へ売上数字を聞くメールを出す」というネクストアクションへ落とし込みます。これでずいぶんやりやすくなる気がします。

 

「祈れ!」「気合を入れろ!」「滝にうたれてこい!」といった不確実な方法でモチベーションを上げるか(しかも、下がる可能性すらある)、それとも目の前のタスクを小さなネクストアクションへ落とし込み実行しやすくするのか。どちらが効果的かは一目瞭然ですね。

 

ところが、後者のやり方によらずモチベーションを爆上げさせた経験が私にはあります。20年以上も前のことですが、今でもその記憶は鮮明に残っています。


ド本命の大学受験の日
私は、一年浪人しました。楽器を趣味として大学のサークルでも楽しみたいと思ったので、吹奏楽かオーケストラのサークルが上手い大学、そして法律を勉強したかったので法学部が有名な大学。これら2つの要件を満たす大学は、いずれも偏差値が高く難関でした。それでも、高校三年生と浪人の合計2年間は頑張って勉強しました。

 

私の本命は、中央大学法学部法律学科でした。中央大学は、吹奏楽コンクール全国大会常連の吹奏楽サークルがあります。そして「中央の法科」といえば全国でも一、二を争う優秀な学部です。並々ならぬ気合と緊張感をもって試験に臨みました。その気合と緊張感の高さが災いしてしまいました……。

 

午前中の英語の試験が非常に難易度が高く、焦ってしまい頭が真っ白になってしまったのです。よく考えれば自分にだけ難しい試験問題を渡されたわけではないので、皆に等しく難しく、それだけ平均点が下がる。ただそれだけのことだと理解して、粛々と受験すれば良いのです。しかし、私はまんまと出題者の罠にかかり「ああ、できない!ダメだ!俺はもうだめだ!」と落ち込んでしまいました。

 

昼食の弁当を食べる気にもならず、殺風景な中央大学のキャンパスをただボーっと眺めていたのを覚えています。せっかく受験勉強をしてきたのにそれが無駄になってしまう、ただそれだけを考えていました。もう午後は受験しないで帰ろうかなとすら思いました。

 

奇跡が起こる
そんな精神状態だったら、午後の試験も満足に実力を発揮することなく自滅していくのが定石でしょう。打ちひしがれながらしょうがなく自席に戻り、何の気なしにMDウォークマンを聴き始めました。

 

ランダム再生で最初に流れてきたのが、私が中学高校とブラスバンド部で定期的に演奏してきた、部オリジナルの行進曲でした。勇壮なトランペットのファンファーレが始まると、今までに味わったことのない大きな高揚感がグググッと湧き上がってきました。気分が高揚して「やってやろうじゃないか!」と思うと同時に、精神的な落ち着きも取戻すこともできました。

 

そこで考えたのは「午前の英語が難しかったのはみんな同じで、落ち込んでいるのは自分だけではないはず。なら、その落ち込みの影響を最小限にして午後の科目で失点を抑えれば勝てる!」ということでした。我ながら素晴らしい判断です(笑)

 

果たせるかな、午後の世界史と国語は、まるで水を打ったような静けさの精神状態で受験することができました。さすがに「これでうかった!」とまでは思いませんでしたが、非常に満足のいくような形で実力を出し切ったなと思いました。

 

数日後、めでたく合格通知を受け取りました。音楽で自分のモチベーションをコントロールすることができたこの経験は非常に印象深く、私の原体験の1つとなっています。勢いというのは恐ろしいもので、記念受験だった大学にも合格することができ、結局そこに入学することになりました。これが奇跡の一部始終です。

 

音楽でモチベーションは上げられるのか
その体験をもとに、では同じ曲を聴けばいつでもモチベーションを上げられるのかというと全くそうではありません。再現性はなかったんですね。なかなか人生うまくいかないものです。他の曲で元気になる時もあれば、どんな曲を聴いても何も感じられなかったりもします。自分の意志力を上げる方法としては、残念ながら確実ではない。

 

とは言え「モチベーションを上げる」ことを100%否定するのももったいないような気がします。タスク管理という「環境」を変える方法、音楽を聴くという自分の内奥に直接作用させる方法、この2つは両方とも大事にしていきたいと考えています。

「夢想家」モードと「実行家」モードの切り換え

「理想主義ですね」
先日、社内で働く2人の中国人の方と会食しました。ひとりは中国の大学を卒業してから日本の大学院に入り博士号まで取ったTさんという女性。もうひとりは上海で自分の会社を10年間経営し、その傍ら当社で仕事をしているというCさんという男性。

 

お2人とも非常に優秀。日本語、中国語、英語に堪能です。また、細やかな配慮も忘れません。私の前で話をするときにはその2人で話すときも日本語で話していたので、「なんで中国語で話さないのですか?」と聞いたところ、「中国語を知らない日本人と同席しながら中国人同士で話すと、その日本人にとって分からない話を目の前ですることになるので、それは失礼だからです」という気遣いをしてくれています。

 

そんな方々と会食をしたときに、Cさんから「小鳥遊さんは理想主義ですね」とにこやかに言われました。なるほど、確かに10年間も上海で会社の経営をしていると、理想主義よりは現実主義寄りになるのかなと思いました。とはいえ、彼の経営に関する考えは、現実主義でありつつ、とても優しいものでした。

 

私、若い頃は「理想主義」と言われると、若干の違和感を覚えずにはいられませんでした。世間知らずと言われているような、そんな気がしたのです。今は、それなりに社会に揉まれた結果、その上で理想主義と言われるのもありかなと思うようになりました。ただ、自分の中では理想主義と現実主義の2人の自分がいるような気がしています。

 

「夢想家」と「実行家」
タスク管理メソッド”GTD"の考案者デビッド・アレンは、その著作で「夢想家」と「実行家」の2人が自分に内在するとしています。曰く、「夢想家」とは、のんびりしながら考え事をする。「実行家」とは、目の前のやるべき事を整理して具体的なネクストアクションを実行する。

 

そして、「夢想家」と「実行家」の使い分けについて、以下の通り書いています。

私が「夢想家」気分のときに、大量に溜まっているやりかけの仕事をどうやって片付ければいいのだろう、とか、仕事を増やしすぎてしまったんじゃないか、などと考えはじめると、腹が立ってきて、やる気が削がれてしまう。また、私が「実行家」の気分になって仕事を片付けているときに、「こんなことよりもっと重要で大きな仕事について考えるべきではないか?」なんてうっかり独り言を言ってしまったりすると、すっかり意気消沈して、何もしたくなくなる。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」)

 

夢想家のときと実行家のとき
ひるがえって自分のことを考えると、仕事をしているときはほぼ実行家だと言えます。洗い出してあるタスクをただただ実行する、という状態です。「自分は何をやるべきか」と問う時間なく手を動かしています。

 

自分がいわゆる「夢想家」モードになるときは、仕事以外の時間になる傾向があります。タスク管理関係の情報発信について考えたり、趣味の音楽を聴いてその世界に浸ったり。会社の行き帰り通勤時にはこうなることが多いです。

 

このモードの切り換えをしていると何が違うのか。端的に言うと、頭の中の風景が違うと言えます。実行家の時は、自分のツールの画面が脳内で表示され、GTDの「見極め」「整理」を粛々と進めています。夢想家の時は、ツールの画面は表示されません。

 

この「会社にいる時」「会社にいない(仕事をしていない)時」の切り換え方法として、自分のタスク管理ツールを脳内に表示させるかさせないかで分けるというのは、割と分かりやすくて良い方法だと思っています。

 

仕事とプライベートの切り換えが上手くいかないという方は、仕事上のフレームワークをタスク管理ツール等で視覚化すると良いかもしれません。自分のデスク上のPCと同時に自分の頭の中でもツールを起動させる。そして、仕事が終わったらPCも落として、脳内のツールもシャットダウンさせる。これが自分がうまく切り換えができている理由なのかなと考えています。