新年の抱負をタスク管理するか問題
「今年は○○する」は現実的か
皆さんどういう抱負をお持ちなんでしょうね。試験の合格とか、誰々と付き合うとか、○○を買うとかでしょうか。現実的かどうかで言うと、現実的じゃない方が多いのではないでしょうか。むしろ、抱負という言葉のイメージには「予定」とか「計画」という言葉よりも、「理想」とか「夢」といった感じがあるように思います。
現実的でないものをタスク管理するか
GTDの開祖デビッド・アレンは、高度という考え方を使って、身近な予定や計画も夢や理想もぜんぶGTDで管理できる!と言っています。間違ってはいません。しかし、少なくとも私には、夢や希望を、その完遂までの段取りに分解したりする意欲が湧きません。自作のタスク管理ツールでも、「いつかやる」というフラグを立てている業務タスクがあります。それらは、ほぼ実行されないで消えていくでしょう。私にとって今現在実現可能性の低いことは、日常的なタスク管理には馴染まないのです。
では私は「夢を実現する気がない」のか?
断言するのが難しいですが、少なくとも「夢」をタスクとして管理するつもりはないですね。そんなこと書くと、夢も希望もない人間がということになって、ツマラナイ奴になってしまうようで嫌なのですが。
ちなみに、私は一昨年の年末には「社内の2〜3人規模でもいいからGTDを紹介する場を作りたい」という「来年やりたいこと」を妻に言いました。そして昨年はそれを上回る規模でやりたいことを実現しました。ある意味、夢を実現したと言っても良いのではないかと思っています。
抱負の持ち方
ただ、夢やら信念の抱負とやらを紙に書いて貼ったり、デスクトップに表示させたりはしなかったですね。頭の片隅にそっと置いておく感じでした。
好きな人ができると、人に言ってしまうと意識してカチコチに固まって何も行動できない奴っているじゃないですか。あれです。夢とか抱負をとか、実現可能性の高くないレベルのものは、身近な人や自分の胸の内にそっとしまいこむのが、私にとってはちょうどいいのかもしれません。だから、タスク管理する対象として何かに書き出すことも避けたわけです。「あの娘が好きだ」と言って付き合えなくなったらカッコ悪い、という私の意気地無しな一面を垣間見ることができます(笑)
抱負の持ち方の例外
ただ、自分がやりたいことを実現するために他人へそれを働きかける必要がある場合には、少し無理だなと思うものでも「やりたい」と言うようになってきています。少しリア充への階段を上り始めていますが、あくまで例外なので、原則的には私は非リア充なのであります(笑)