ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「忙しい」という状況の裏にあるもの

「忙しい」という理由で締め切りに遅れたりやらなかったり質が低下することへは、なかなか100パーセント「忙しいのならしょうがないですね」とは言いづらいです。

 

それに対し、それをどうにかして締切までに終わらせるのが仕事だろう、などという根性論もありますね。これはもう何というか、欄外だと思ってます。

 

あるいは、タスクが発生するところからそもそもコントロールしようという考え方もあります。つまり「断る」わけです。断りたくても断れなかったりしますが、比較的現実的で効果的な対処法だと思います。

 

しかし、断りきれないほど仕事が集中する自分に多少なりとも満足感を覚えてしまったりすることがあります。「オレ、忙しいんで……」と言う裏側では、「優秀な人に仕事は集まる」という言葉を頭に思い浮かべて、ちょっとフフッとなったりします。

やりかけの仕事の山を自分の周りに砦のように積み上げていると、外界からの情報への反応を鈍らせてしまう。外界から入ってくる情報は、書類の束や何百通というメール、どこかに紛れ込んでしまった情報や、忘れられてしまった約束などのバリケードを縫うようにして入って来なければならないからだ。そしてこの状況がさらにひどくなると、自分にとって都合の悪いことや、何やら難しそうなことを先のばしにしたり、さらにひどいことには、無視したりするようになる。しかも、職場においてはそうすることはかならずしも恥ずかしいことではない。「ひどく忙しい」とは、つまり職場で「重要視されている」とみなされることもあるからだ。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

 

この気持ちは分かります。実際、たくさん仕事を抱え込む人の相当程度は、「この人だから頼みたい」と思われているのだと思います。ならば、その期待に応えたいと思うのが人情です。嬉しいですよね。

 

その人情は悪いことではないです。ただ、それにある程度歯止めを効かせないと、期待に応えてより認められたいという承認欲求の広がりに任せて、どんどん仕事を抱え込むようになってしまいます。

 

その結果、「忙しい」という状況になるわけです。依頼する方も、引き受ける方も悪くない。しかし、そこには辛い展開が待ち構えていることが多いです。引き受けすぎて自滅という展開です。

 

この人だからと信頼して頼み、期待に応えたいと引き受ける。上手くいけばいいですが、そうもいかないときもある。その分かれ目は何か。

 

それは、自分のやるべきことの全量把握、つまりタスク管理手法"GTD"でいうところの「把握」「見極め」「整理」です。全量把握ができて初めて、「ん、この状況でこの量はマズイぞ」と分かるものです。

 

これができると、お互いの信頼と貢献が上手く噛み合って、より良いものを生み出すことができる、と考えています。是非、タスク管理で適切な歯止めを効かせましょう。