ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「全部のタスクを管理する」なんていきなりは無理だ!とお悩みの方へ

GTDを紹介してまずひかれてしまうのは、最初の「収集(把握)」プロセスの段階で「自分が抱えている、気になることすべてを書き出そう」と事も無げに言うからだと思います。

 

だってそうですよね、ただでさえ自分の仕事が把握しきれていないのに、全部書き出すだなんて面倒以外の何物でもないですよね。

 

それと、仮にその時点の全仕事が書き出せたとしても、その後発生し続ける様々な仕事を把握し続けるなんて狂気の沙汰だ!と思うかもしれません。

 

でもこれ、不可能だと最初から斬り捨てるのはもったいないです。少なくとも私は、全部の仕事がタスク管理ツールの中に入っています。特段タイピングが速いわけでもありません。もちろん一日が30時間ぐらいあるわけでもありません。

 

仮に、全部の仕事を書き出せて、その後も管理できたらどうなるでしょうか。タスク管理の手法"GTD"の提唱者デビッド・アレンは以下のように言っています。

一部(の仕事)を管理した場合と(抱えている仕事)全体を管理した場合には、結果に天と地ほどの差が出てくる。何より残念なのは、わずかにやっただけでも気分がよくなるためにほとんどの人が最後までやろうとせず、その真価を実感できないままでいることである。一部を管理しているか、全体を管理しているか、あなたの潜在意識はきちんと知っている。
(中略)
物事を効率的に進めていくのに重要なことは、自分にとってベストな選択ができたという自信が持てるかどうかにかかっている。そしてそのような自信は全体を管理した時に最大化されるのだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 実践編」より)

 

ね?(何が「ね?」なんだ!というツッコミはともかく)

 

そこで提案したいのが「いつかは全部書き出せる法」です。

 

今抱えている仕事を全部書き出そうとするから、目の前の登るべき山を見上げて暗たんたる気持ちになるのです。それでは一向に始まりません。やることは「これから取り組む仕事だけツールに書き出す」だけです。

 

すでに抱えている過去発生分の仕事は、それはそれで粛々とやっちゃいましょう。やるのを忘れて地雷が爆発するかもしれませんが、それは頑張ってやり過ごします。そうなりつつ、過去分はとにかく淡々と、タスク管理ツールに書き出さなくても良いものとして完了させていきます。

 

一方で、新しく発生する仕事は必ずツールに書き出していきます。これを続けていけば、多少期間はかかりますが、いつかはすべての仕事が書き出された状態になりますね。とりあえずはこれを目指す、というのはいかがでしょうか。

 

それがじれったいという方は、週末などに時間をとって書き出すことになりますね。いずれにしても目指すところは同じです。「ここ(タスク管理ツール)に全部ある感」は、それだけの手間と時間を費やす価値のあるものだと思います。

引き続き、タスク管理ツール拡散の野望

拡散したい
クラウド版タスク管理ツールの試作を見せてもらってからというもの、これをどうやったらたくさんの人に使ってもらえるだろうかと、野望が止まりません。

 

「でも、そもそもなんで拡散したいの?」と自問してみました。自分が作ったツールを使ってくれることがとても嬉しいというのがまず1つ。そして、ツールを使うことで、自分のように思考と記録が整理されて仕事がストレス少なくこなせるようになる経験をしてもらいたいというのがもう1つ。この2点ですね。

 

使って欲しい人たち
特に使って欲しい人たちは、私のような発達障害ADHD不注意優勢型の人や、その傾向のある人です。仕事をしながらその管理がうまくいかず苦労している人、職場をドロップアウトして再起を図ろうとしている人、これから働こうとしているが不安感を覚える人、そんな方々に特に使っていただきたいと考えています。

 

精神医学もしくは心理学的裏付け
タスク管理、とりわけ私のこのクラウド版タスク管理ツールの根本となっている方法論"GTD"は、発達障害対策プログラム"Teacch"の「構造化」と同じ手法を採っています。また、森田療法との類似性もある、という話もいただいています。この点も打ち出したいと考えています。


ただ、個人からそういった情報発信をするより、然るべき知見のある方々に認めてもらい信頼して使っていただくために、社会福祉法人からの拡散というやり方が良いと考えています。

 

でも、あくまで仕事や日常生活に使えるツールとして広めたい
とは言え、基本的には仕事や日常生活に役立てるツールとして考えており、社会福祉法人から発信を開始して、どう拡散していくか。ここについてはまだそんなにアイディアはありません。

 

1つ考えているのが、あらかじめマニュアルのようなものを作っておき、それを使って、すでにユーザーとしてお使いいただいている方にセミナーを開いてもらい、勧めてもらうというもの。「このマニュアルを元に話を進めれば、ちゃんと説明になる」みたいな、講義レジュメみたいなマニュアルです。参加費徴収もご自由にしていただいて、各自勝手にセミナーを開いてもらう。やりたい人いらっしゃいませんか。セミナー主催したいけど、何をすれば良いのか分からないという方、良いネタ提供しますよ。

 

これからも考えていきます
クラウド版タスク管理ツールの試作品が出来上がるまでは、まだ時間があります。また、3〜6ヶ月くらいはクローズドのコミュニティでテスト使用をしてもらってフィードバックをいただき、その反映を実装してから公開したいと思います。

 

それまで考えることがたくさんありそうです。そのたくさんある考えごとをクラウド版タスク管理ツールで管理したいというジレンマに小さな悲鳴を上げております。

 

あ、ツール名考えないと!
そうそう、肝心なツール名を考えないといけないのです。「タスクなんとか」系かな?とは思うものの、なかなか「コレだ!」というものが思い付きません。「タスクなんとか」にこだわりませんので、アイディアがあれば是非お教え下さいませ。

リマインダーは怖くない

「やるべきことを全部紙に書き出して、それをリマインダーとして定期的に見返せ、だと!?」

 

「自分がリマインダーに見張られているようで嫌だ!」

 

「自分がリマインダーに縛られているような気がする。もっと自由に動きたいんだ!」

 

こんな感想を持ったことはないでしょうか。タスク管理手法"GTD"を始める前は、きっと私はこんな風に思っていたと思います。

次に取るべき物理的な行動が明らかになったら、その場で行動するか、他の人に任せるか、適宜思い出せるようにリマインダーをシステムに入れておこう。
(中略)
「次に取るべき行動」リストについても時間があるときに適切な頻度で見直そう。そうすれば自分が今どのような選択肢を持っているかを明らかにすることができるようになる。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 実践編」より)

 

やるべきことを書き出してリスト化したものとは「リマインダー」であり、私がこのブログで書くところの「タスク管理ツール」です。

 

今、タスク管理ツールによって見張られている感があるかというと、全くありません。だからと言って無視されているということでもありません。見守られているという感覚です。

 

親が子供をみるのは、監視であると同時に見守りでもありますね。タスク管理ツールと使用者との関係はそれに似ていると思います。関係が良好だと見守ってくれているという安心感が生まれます。

 

逆に、後ろめたいことをしていると、自分の中で勝手に「見張られているッ!」と思い込んでしまいます。さすがにタスク管理ツールが怖い顔して「コラッ!」と言ってくることはありませんが、意味無く先送りしているタスクが目に入るたびに「ああ、すいません…」と思います。

 

この「ああ、すいません…」に耐えきれず、タスク管理が破綻する人は結構いるんじゃないかと思います。私がそうでした。その原因は、自分がタスクに着手できるような工夫__タスクの分解をして「次に取るべき具体的な行動」を明確にすること__をしていないことなのですが、進められていない自分が悪いものだと思って、その感情に耐え切れずにタスク管理をやめてしまうのです。

 

あえて自責の念は捨て、「うまくいかないなら、タスク管理のシステムを見直そう」と、タスク管理ツールへ他責してみるのも良いと思います。

 

そんな風にしてタスク管理ツールと仲良くしていくと、タスク管理をすること自体が快感に変わっていきます。

休み明け「タスク収集」の儀式

お休み後のメールの山

これを書いているのは2017年10月25日です。昨日1日お休みをいただきました。そして、今日も午前半休をいただきました。ということは、私のメールボックスにはそれなりにたくさんのメールが溢れているはずですね。その通り、なかなかな数のメールが来ておりました。

 

とは言っても、一日にもっとたくさんメールが来て処理しなければいけないタスクがたくさんある方もいらっしゃいますね。私にとっては数十件の未読メールは多い部類に属します。

 

さらに繰越タスクも!

そしてそして、昨日のお休みをいただく前から繰り越していたタスクも相当数あります。いずれも骨のあるタスクばかり。上で書いたメールは、いわば新規タスク。ここで書いた繰越タスクは既存タスク。この2つの合計が、本日お昼に出社して私を待ち受けるタスク総数であります。

 

無視できるメールを既読にする

すぐにやることは、自分がやるべきタスクが含まれていないメールを速攻で(読まずに)既読にしてしまうことです。

 

例えば、全社に展開される日次の営業の数字報告(ウチの会社はこんなことやってるんです)のメールは読まずに既読。読んで損はしませんが、自分の業務に直接は関わってこないので即既読。

 

そして、自分宛じゃないメールも、ざっと読んですぐに既読。悪名高い「念のためCC」メールなんかその典型ですね。CCにしか自分は入っていないのに、さも読んで理解している前提でメールについての話題を振ってくる人に対しては、「自分は知らなくて当然」というスタンスで話します。特に、メール本文中で「CC:小鳥遊さん」とか入っていないで、他人同士がやりあっているメールは、ほぼ斜め読みで記録も記憶もせずに既読にして放置です。

 

タスクとして採り上げるか

今まで何をして来たかというと、数ある未読メールの内容をタスクとしてツールに入力するかどうかを判断するという行為です。ここでタスクだと判断してやっとツールに入力します。

 

お休み後の残業時間

ここまでが結構大事です。なぜ大事なのかというと、ここまででかなり「やるべきタスク」を絞らないと、つい「前日休んだからなぁ」とか「今日も午前半休取っちゃったからなぁ」とか考えてズルズル残業してしまうのです。自分が残業するのを許す理由を作っているのです。

 

ちなみに、私本日1時間半残業しました。自分にとっては長いものです。午前半休だったのと、2時間外出したからこのくらいの残業時間になったものと思われます。当社は8時始業なので、午前中は4時間の業務時間があります。残業時間1時間半を差し引くと、今日は2時間半は余裕があったことになります。

 

しかも、官公署へ出向く必要があったため2時間程度外出しました。本当はこんな単純にはいかないんでしょうが、2時間半にさらに2時間足して4時間半。こんななら余裕があったと計算上は言うことができます。

 

捨てる勇気

ここで言いたかったのは、メールを読まずに既読放置するという危なっかしそうな方法でも、ちゃんと仕事は回っていくんだ、ということです。放置したメールがクリティカルな要因となっておおごとに繋がるのは考えにくい。「もっと読まなきゃ」とメール1通1通を丹念に読み込むのは、一定数を一定時間に逆にこなせない点で、危険だと思います。「これは読まない」という捨てる勇気がどれだけ発揮できるか。この違いが、残業時間の差となって現れてきます。

「何歳?」「何歳に見える?」問題

あるあるネタ

「何歳ですか?」と聞いて「何歳に見える?」という返しをされると面倒臭い、というあるあるネタです。このやり取りは決して非日常ではなく、しかもそれに気がついていないのです。

 

曖昧な指示

仕事で「こういうのを作って欲しいんだけど、、、」と指示を受けて作ると「うーん、ちょっと違うんだよねー。もっとこう、エッジの効いたさぁ…」と返される。「エッジとは何ぞ?」と調べて「人を刺激する鋭い感覚」「個性を際立たせた」と分かるや、ますます明後日の方向に進んで行く。そんな光景が目に浮かびます(私の経験からくる光景です)。

 

曖昧な指示の方が楽

指示する側は曖昧な表現をして、相手がそれをうまく汲み取ってくれれば大変ありがたいのです。優秀なクリエイターはその汲み取りが上手いか、汲み取りが浅くても有無を言わせない説得力のあるクオリティのものを返してくるから評価されるのだと思います。いずれにしても、指示側は「いい感じにしておいて」とだけ言っておけば良いという、極めて楽な仕事で済む。これはいいですね。

 

私はクリエイターではない

ところが、優秀なクリエイターではないどころか、額面通り受け取りがちな私は、真意を汲み取るどころか、少ない指示情報を真摯に反映させてしまい、とんでもないものを作ってしまうことが往々にしてあります。

 

要望には応えているつもりなのに、なぜだめなのか。自責傾向が強い私は、それだけで自滅の道まっしぐらでした。

 

魔法使いになる

ここ2,3年で、やっとこの「曖昧な指示」攻撃へのカウンターを繰り出すことができるようになってきました。「具体的にはどういうことですか?」魔法を唱えられるようになったのです。

 

小鳥遊は「GTDの使い手」になった!

タスク管理"GTD"を実践していると、自分がやるべき行動を具体的な表現にすることが大切なことが分かります。GTD通りに進めるために、曖昧な指示をそのままにせず、ちょっと勇気を出して「それって具体的には……」と聞き返すようになりました。ドラクエ風に言えば「GTDの使い手」という称号を得た!といった感じです。

 

指示はクイズじゃない

指示する方とされる方のやり取りは、クイズになってはいけないと思います。遊んでいるなら別ですが、仕事であれば相応の責任感を持って取り組みます。「なんか違う」みたいな返しをされ続けると、割とメンタルにきます。何往復かのやり取りにかかる時間も無駄になります。具体的にどうして欲しいのかを必要最低限のやり取りで伝えられるのが理想ですね。

 

ちなみに、「これかな?」「ちがーう」「じゃあこれ?」「もぅ、違うってば!」「あははは」「うふふ」と、イチャつきたい方々は、どうぞご自由に!はたから見てると、とても和みます。

 

地に足がついていない夢想家に感じる「ジャナイ感」の本質

夢ばかり語って一向に行動しない人、小さな結果すら出さない人がいます。悪くはないし、否定はするつもりはありませんが、なんとなく「そんな大層なこと言っても……」と思わないでもありません。

 

この「ジャナイ感」は何からくるのだろうかと考えました。

 

ジャナイ人たちは、日常の1つ1つのやるべきことができていないことが多いのではないか、という自分なりの仮説を立てております。

心理学者の大家エイブラハム・マズローが指摘したとおり、まず日常のこまごまとしたことが安定しない限り、より高い次元のことに向き合っていくことはできないのである。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 実践編」より)

 

タスク管理"GTD"は、ボトムアップのアプローチを大いに許容しているんですね。ここに「ジャナイ」脱却のヒントがあると考えます。

 

ボトムアップを推奨していると、夢を否定して現実(だけ)を直視せよ、というメッセージと受け取られかねません。

 

しかし、ボトムアップ、日常のこまごましたことから片付けていこう!ということが、イコール「夢を語ることの否定」ではありません。健全に夢を語る(あるいは「より高い次元のことに向き合う」)ことを否定せず、そらを生かすためにはボトム部分を一足飛びに越えることは、あまりよろしくない、だからボトムアップやっていこうぜ!ということなんですね。つまり、夢見がち的側面を肯定しているわけです。

 

ということで、急がば回れで、夢があっても日常のこまごましたことを粛々とやっていくのをお勧めします。そうすれば、ジャナイ感から脱却できます。テレビにバンバン出演する有名人になりたい!と思ったら、まず溜まった新聞を束ねるところから始める必要があるのです。

 

余談ですが、夢なんかないけど、夢中になるものが欲しい!という人にもタスク管理はお勧めです。自分の目の前にあるものを片付けていくと、本当に「その上」に目がいくようになります。

仕事を整理する時間は仕事か?

始業30分前に来いとはよく言われることらしいです。30分前に職場に来て何かしたら、もうそれは業務、つまり朝残業以外の何物でもないと個人的に思います。

 

警察が勤務前に柔道のトレーニングをやっていて、それを視察しに来ていた外国の人が「これは業務時間に入るのかね?」と聞かれ自信満々に「自主的な活動なので入りません」と警察関係者か答え絶句、というニュースがありました。業務内と業務外の境界線が曖昧な職場は依然として多い印象があります。

 

ところで、30分も前に出勤して何をするんでしょうか。掃除というのが多いようです。それと同じぐらいに多いのが「仕事を始める準備」です。

 

「仕事」をするにはそのための準備が必要だ。でも準備は仕事じゃ無いから始業前に済ませておこう。そういうことなのでしょう。

 

会社員として仕事をする上でずっとおかしいと思っています。始業時間には「仕事」を始められるようにあらかじめ早く職場へ来て「仕事の準備(これは仕事ではない)」をしなければいけないというこの考え方には、強く違和感を覚えます。

あなたがそのときどきでとりうる行動には次の3種類がある。すでに明らかにしたタスクを実行する、その場で対処すべきタスクを実行する、そして効率的に行動していけるようにあなたの整理システムを整備する、という3つだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 実践編」より)

 

私は、この3つ全てが「仕事」だと思います。上で「仕事の準備」としていることも仕事だと思っています。準備として仕事を整理することは、つまるところタスク管理ツールに新規タスクを入力したり、既存タスクを更新したりすることでしょう。これは「準備」レベルだと軽視せず、れっきとした「仕事」として認識すべきだと考えます。

 

仮に3つ目が仕事ではないとしたら、始業前にその作業を済ませることの理屈は通ります。しかし、始業後は「仕事の整理をしてはいけない」のですから、ただ目に付くものから手当たり次第片付けて、優先順位を付けたりする必要は無い、というヘンテコな話になりかねません。仕事の整理を業務外として始業前に済ませるべきという理屈は通りません。

 

幸いにも、始業30分前に来い!などとは言われる環境に私はいません。もしいたら相当モヤモヤしそうです。「仕事の準備」という言葉で曖昧になっている行動は、やっぱり仕事だと思います。

 

この、仕事の整理は仕事じゃないという軽視っぷりは、先進国の中で群を抜いて生産性が低いという日本の特徴と密接な関係があるように思えてなりません。