信頼できる部下を持つ前に、自分が他者を信頼できるようになることが大事。
この本を読んでいます。
知識人を集めてフォードがしたこと
冒頭に、「自動車の育ての親」ことヘンリー・フォードのこんな逸話がありました。
ある日、知識人と呼ばれる人たちがフォードの会社に呼ばれ、フォードに「なんでも質問してください。すべて答えてごらんにいれます」と言われた。
高等教育を受けていないフォードをやり込めてやろうと、知識人たちはそれぞれに質問をしたところ、フォードは部下を呼びつけてすべて答えさせた。
「自分は何か問題が起こったら、優秀な部下を雇って解決にあたらせます。そうすれば、自分の頭は常にすっきりと保つことができます。そして自分はもっと大事なことに時間を使います。それは例えば「考える」ことです。」
フォードが意図したのは、「考えることは過酷な仕事だ。だからそれをやろうとする人がこんなにも少ない」ということなのだそうです。
記憶することに価値はあるのか
先のフォードの言葉は、記憶していることに価値を置きすぎていやしないかという警句ですね。今や必要な知識はあらゆるところで手に入ります。逆に不要な知識を捨てることの方が大事になっているくらいです。
この考え方、GTD的にもすごく大事です。「信頼できるシステムにすべてのタスクの情報を集めよう」というGTDの根幹思想と共通します。
大量の情報を保有するより、大量の情報にすぐアクセスできるようにしておく方が価値があるということです。
それでも記憶を捨てられない
記憶しなくて良いと言われてホッとする人もいれば、記憶を大前提に物事を進める人もいます。
こんなツイートをしました。
ある会議が終わって、その会議でやると決まったタスクの理解についてのすり合わせを行う会議
— 小鳥遊 (@nasiken) 2019年3月5日
……の理解を確認する打ち合わせ。
数日前の会議の記憶を手がかりに、今後やるべきことを決めていくという会議、打ち合わせです。まだまだ会社にはよくある話ではないでしょうか。
色々な方法を検討した結果、記憶で仕事を進めるのを選択する人もいます。しかし、このツイートような例は明らかに無駄な時間を過ごしていると感じます。
短期記憶に自信がない私だから余計にそう思うのかもしれませんが、記憶を頼りに仕事を進めるのは、危なっかしくてしょうがないのです。
最後に
思えば、タスク管理に出会えたのも、自分の記憶力を頼りにしないと覚悟を決めたからでした。
もしかしたら、「質問に答えられるできる優秀な部下を持つこと」や「システムを信頼すること」の前に、システムや部下が信頼できる自分になることが大事なのかもしれません。