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「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

映画は中断したところから観るのに、仕事は、、、?

のきばトーク53での大橋さんの映画の見方

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時間管理ツール「Taskchute」の生みの親、大橋悦夫さんの話です。大橋さんはよく映画をご覧になるそうです。ただ、2時間の空き時間をとって観るのではなく、毎日入浴時に見るのだそうです。所要時間は20分程度。細切れに見ることになります。

 

「前日見終わったところから見られるか?」
「見終わったところから再開できるようになっている」

 

こんな会話が「のきばトーク」ホストの佐々木正悟さんとありました。映画を観ることに関しては普通の会話ですね。

 

中断した仕事を再開する
タスク管理界隈の住人はこの会話を聞いたら即座に「中断した仕事を無駄なく再開する方法」へと連想が飛ぶことでしょう。少なくとも私はそう連想して、大橋さんの無駄のない生活に「なるほど」と思いました。

 

映画では、中断したところから再開するのはよくある話です。ところが、仕事ではどうでしょうか。途中まで観た映画のDVDを取り出して「さて、どこまで観たかなぁ?」と早送りや巻き戻しを繰り返して中断箇所を検索するようなことをしていないでしょうか。

 

「していないでしょうか」と問いかけるときには決まって「いや、している」と続くのです。している人、多いですよね。Aという業務タスクを実行しているときに割り込みタスクBが入ってきたとします。Bをやり終えてAに戻るとき、「さーて、Aはどこまでやったっけ?」と、記憶や手元の資料、メールの履歴を見て「おお!ここだ!」と復帰点を見つける。こんな風にしていると思います。

 

復帰すべき点をあらかじめ記しておく
なぜ仕事だと、進めてきた手順を記録して復帰点を分かりやすく記しておくということをしないのでしょうか。タスク管理「GTD」でタスクの「見極め」を念頭に置けば、このような疑問が浮かんで当然だと考えます。そして、タスク管理に慣れている人の答えは「分からない」「多分、手順を記録するのが面倒くさいんじゃないか」といったものになります。要するに「復帰点を記しておいた方が良いのに、なぜしないのか分からない」ということです。そのくらい、仕事の手順の記録が習慣化されている、ということでしょう。

 

映画なら「ここで中断した」機能を使っているのに、仕事ではそういった機能を使おうとしない。もったいないです。仕事も映画と同じようにトラック分けして、素早く続きが観られる、続きの仕事ができる。これもまた巷で叫ばれている「生産性」を向上させる方法の1つであり、同時に自分の精神的負荷を軽くすることになります。

「自分は要領が良くない、と思い込んでいる人のための仕事術 実践編」明日開催!

開催!
F太さん(@fta7)との同名のイベントに参加いただいた方々を対象に、よりタスク管理を実践していただくための講座を開催いたします。

 

開催者は2人
開催者は私と、心強いタスク管理マスターであるひばち(@Evaccaneer)さんです。

 

ひばちさんは福祉施設で働いているので、常時パソコンやスマートフォンに触れることができない就業環境です。さらには、利用者の方から「もしかしたら自分について悪いことをメモしているのではないか」と思われる可能性があるので、ノートや手帳すら気軽に取り出せません。そんな自らの就業環境に合うタスク管理方法を確立されています。

 

実践的な内容
実践編と銘打つだけあって、私小鳥遊やひばちさんのタスク管理方法を解説し、ワーク多めにしてあります。

 

このイベントでは、少人数(10名以下)の方々へ、GTDの「把握(収集)」「見極め」「整理」を特に重点的に取り上げ、それぞれパソコンでの運用、紙での運用を見ていただき、ご自分のタスク管理の参考にしていただくのを目的としています。

 

何をするの?
具体的な内容としては、「望む結果」を明確にし、タスク分解とともに紙に書き出すところを見ていただきます。そして、各自のタスクを実際に「望む結果」として書き出し、分解する練習をします。

 

さらに、開催者2人が、それぞれ使用しているツールを使って、どのようにタスク管理を運用しているかを実演します。紙によるタスク管理を知りたい、見てみたいという方が多いようなので、目の前で紙によるタスク管理を見ていただきたいと考えています。

 

ここまでやれば、どのようにタスク管理をすれば良いかについて、かなり参考になるんじゃないでしょうか。

 

実践編も継続的に開催します!
こちら、継続的に開催していく予定です。基本的には「自分は要領が良くない、と思い込んでいる人のための仕事術」に参加いただいた方に参加のご案内をしていますが、ご興味ある方は私かひばちさんまで、ツイッターのダイレクトメールでご連絡を。

 

最後に告知
ちなみに次回の「自分は要領が良くない、と思い込んでいる人のための仕事術」は9月24日の予定です。


私のツイッターアカウント上ではひっそりと告知をしていますが、まだ参加申し込みがありません。ひっそり過ぎたようです。

 

仕事の生産性を上げたいけど要領が良くなくて、不器用で、とお悩みの方、よろしければご参加ください。同じく要領が良くなかった、不器用だった私がタスク管理と出会ってどのように変わったかをお話させていただきます!

思いがけない事実を見つける方法

のきばトーク53を聴きました。

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タスク管理に触れたことのある人なら殆ど知っているツール"Taskchute"の生みの親である大橋悦夫さんが特別ゲストで、非常に興味深い話をおっしゃっていました。

 

「大学生、会社員の頃からタスクのログは取っていたが、同じタスクをやっているはずなのに完了できる日とできない日があった。原因はタスクの並べ方であると考えた」

 

タスクの要素に「時間」を入れる考え方

ここに、Taskchuteの思想がありますね。タスクリストの完成度というテーマで、タスクのリストを作っただけでは完成度は50%で、しかるべきタスクがしかるべき時間に置かれてはじめてそのタスクリストは100%の完成度であるという話がありました。これは、いつも自分の行動についてログ(記録)をとっていた大橋さんだからこそ到達できる結論ですね。そういった思いがけない事実を見つけるには、ログを取ることが大事だということが分かります。

 

ログ取りの効能

「気になること」を収集し、自分にとってたしかな事実(とくに何らかのかたちで思考に影響を及ぼしているもの)を明らかにすることは、一見単純そうだが、なかなかに奥の深いものだ。どんなにささいに思えることであっても、あなたの集中力を削ぐ可能性のあるものを無視したり、心にとどめておくことを選んでいる人は、自己管理上、大きなリスクを負っていることになる。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」より)

メモ魔を自称されている大橋さんは「気になること」「やるべきこと」を書き出して収集した結果、先の「同じタスクリストでも完了する日としない日がある」という事実を知り、タスクには実行されてしかるべき時間帯があるという独自の理論を構築できたわけです。

 

私は、、、、

ひるがえって私はというと、ログ取りには実はあまり力を入れておりません。今までさんざんログ取り大事などと書いてきて言うのもなんですが、ログをとってそこから何らかの傾向や法則を分析するのは、あまり得意ではないようです。

 

ただ、自分のこなした仕事タスクが溜まっていくことで、2つのメリットがあることは実感しています。1つ目は「こなした数だけ自信に変わる」。2つ目は「過去のタスクログを参照しなければいけないときにすぐ欲しい情報に到達できる」。2つ目は特に実務的な側面が大きく、重宝しています。

 

大橋さんは、膨大なログを分析して「タスクが置かれる時間帯がそのタスクの完了に大きく影響する」という思いがけない事実を見つけることができました。私も、「え、この契約書、締結されないままこんな長い間寝かされてるの?」といった分析を経ていない簡単なログからでも思いがけない事実を知るときがあります。記録を残していて良かったと思う瞬間です。

「詰めが甘い」メカニズム

詰めが甘い人
他人事のように言っていますが、私がそうでした。終わりが見えてくると「もういいかな」と思ってしまい、その時点でやるべきことをしないでやめてしまうのです。別に誰かから「もうやらなくていいよ」と言われていないのに。

 

サーキュレーター設置の話
東日本大震災の後、節電のために社内に複数のサーキュレーターを置いたことがありました。冬になったら要らないだろうということで、何か月間かのレンタルをしたと記憶しています。

 

設置して終わった気になってしまう
どのサーキュレーターにするか、フロアのどこに設置するかということを決めるのにもヒイコラしてしまい、サーキュレーターが会社に届けられて設置し終えると、もうほぼ仕事は終わったという気分でした。

 

充実感に浸るのはいいのですが、数か月後、具体的に何月何日に引き取り業者の方が来て、そのためにはあらかじめ配送された際に入っていた段ボールに入れて返さなければいけないという決まりがあり、それは確実にやりおおせなければなりません。

 

引取りの日をちゃんとカレンダーか何かに書いて、それまでに段ボールに入れて引き取り業者さんに「はいこれです」と渡さなければいけないわけです。書けば簡単なことです。しかし、一度設置したらもう満足してしまい、まだ残っているとは思いつつ、面倒臭くて手をつけないでそのままにして忘れてしまっていました。

 

そして引き取り時にあわてる
そんな状態なので引き取り業者さんが来た時に「あれ、なんだっけ?」という有様でした。「なんで渡す準備をしていないの?」と同僚や上司に叱られ、かつ叱られながら、引き取り業者さんの冷たい目線の中、段ボールを探して(そう、どこに保管したか忘れているのです!)梱包して渡しました。詰めが甘いですね。

 ただ、ふつうの人は、「プロジェクト」は何かと考えたときに、すぐに浮かんでくるものよりずっと多くのことを心に抱え込んでいることがしばしばだ。これらについても見極めて意味を明らかにし、整理していくことがとても重要だ。
例えば、引っ越しのあと、まだ片付いていないものがあるという人は多いだろう。このような人たちは、引っ越しを完了させることがプロジェクトとして残っており、それに注意が削がれているのに気づいていないことも多い。
(中略)しかし、これらを「プロジェクト」として認識し、それに対して適切に注意を向けていこうとしている人はなかなかいないものだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」より)

 

「詰めが甘い」人の甘くなるメカニズム
常時頭の中で思い出して「やらねば!」とできるひとはほぼいないです。引っ越しの片付け、段ボールが残っていつつも手をつけない。書き出して、それを見て1つ1つ実行していくとその先にやっと「完了」がある。しかし「引っ越し後の片づけ」を構成する「段ボールを潰してまとめる」「ごみ捨て場に出す」といった細かい作業がイメージできず、放棄してしまう。これが「詰めが甘い」のメカニズムです。

 

まだ詰めが甘いかもしれない私
今朝、浴室の時計の電池を買いました。ただ、「買った」で終わっては詰めが甘い。買った電池を時計にはめて、時計を浴室にセットするまでしてやっと完了です。帰宅してこれができるか。この差が詰めが甘いかどうかの分かれ目です。

淡々とタスクをこなすということ

ただ、それだけ

私が大好きなチャラン・ポ・ランタンの曲に「ただ、それだけ」というものがあります。

 

朝が来て

昼が来て

夜が来る

ただ、それだけ

 

本当にただそれだけなんですね。その他は何て歌っているのか確かめるため聴き直しましたが、なんとこの歌詞しか無いのです。改めてびっくりです。

 

「頭が真っ白になり…」

船場吉兆の会見ではありませんが、先日、精神的にちと辛いことというか、久し振りに頭が真っ白になるような失敗をやらかしました。

 

何のことはない、上司の指示を勘違いしただけのことなのですが、そういった些細なことでも自分にとっては些細なこととして処理できないんですね。針小棒大とはこのことだと言わんばかりのうろたえっぷりでして、午後いっぱいは頭の回転が鈍くなってしまいました。

 

タスクをこなす。ただ、それだけ。

そんな状態になったら、もうどうしようもないのが普通ですね。今何をやっていて、次に何をすれば良いのかが分からない。そんな状態になるはずです。以前の私であればそうでした。

 

しかし、今の私には頼もしい味方、タスク管理ツールがあります!今何をするべきで、次に何をすれば良いかがツールに全部書いてあるので、頭があまり働かなくても最低限のことはできる。私の感覚としては、タスク管理ツールにしたがってただタスクをこなしているだけというものでした。

 

安永徹さんの名言

世界でも超一流のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターであった安永徹さんは、練習の目的を次のように語っています。

 

「練習は本番でうまく弾くためにあるのではなく、本番で頭が真っ白になっても弾き続けられるようにすることが目的だ」

 

プロのオーケストラの舞台上では、もちろん超一流のプレイヤーがその才能を駆使して丁々発止やりあう演奏を繰り広げるのですが、それは、演奏を支える確かな技術があればこそです。おそらく、とんでもなく高いレベルのことを無意識に「ただ、それだけ」感覚でやっているのでしょう。本番になって頑張りを見せたらするのは、すでにその時点でプロ失格ということなのかもしれません。

 

「ただ、それだけ」感覚で仕事を実行

ベルリン・フィルのトッププレイヤーと比べるのはおこがましいですが、何かを成し遂げるのは「ただ、それだけ」の繰り返しなのかもしれません。

 

果たせるかな、頭が真っ白になったその日も、ちゃんと仕事を終わらせていました。毎日そんな風に、淡々と業務タスクをこなすことを継続するのが、大きな「自信」という財産になることは薄々気づいています。それを可能にする仕組みを作ることができている、タスク管理ツールの恩恵に預かっているのを実感する瞬間です。

長期的な計画を実行する粘り強さ

半年かかる企画をやり終える
先日、長期間かけて完了させる企画を終わらせました。タスク管理以前の私は計画性など皆無で、1〜2週間かかるものすら抜け漏れが発生したり、まともに進捗報告できない有様でした。単発のものであれば何の心配もなく手をつけられるのに、それが多数集合するだけで難易度がグッと上がり、頭の中が混乱してしまっていたのです。なのに、長期プロジェクトを完了できるようになったのです。

 

何のストレスもなく完了
そんな私が、タスク管理ツールを愛でているだけで、長期プロジェクトを終わらせることができました。なぜなのか。

それは、タスク管理により集合した多数のタスクを単発のタスクへとバラすことができたからです。タスクの分解をしていって、1つ1つの細切れになって実行が容易になったタスクに着手するだけという、「これなら自分はできるという勝ちパターンに持っていくことができた」からです。

 

継続的に少しずつ実行できる仕組み
遂行能力を自分の頑張りとか忍耐力に求めるのではなく、仕組みでサポートする。無理なくストレスフリーに進めることができ、安心して取り組み続けることができたのはここに理由があります。

 

なので、長期間なプロジェクトを始めるにあたっては特に、「安心感を与えてくれる仕組みを作ること」が何よりも先決だと思います。そのためにはやるべきことを書き出して、具体的な次の行動までその仕組みに落とし込んでリスト化すること。タスク管理の基本中の基本です。

 

やるべきことを列挙される恐怖?
そんな細かい単位までバラしてリストに書き出すと、やらなきゃいけないことをまくし立てられているようで、そっちの方が緊張するという感覚があるかもしれません。

 

そういった考えに対しては、やれていなくても、「やれていない」という状態があり、アラートが表示されていること自体が安心材料になります。締め切りと相談して「しょうがないからやるか」「まだ大丈夫」と判断することが可能だからです。ですので、私としては特段気にすることにはなりません。

 

むしろ、書き出していないと、その判断すら不可能です。人間の不安は不確実なことに対して生まれるので、「やらなきゃいけないことが他にあるかも」という疑念がわく方がよろしくないかと。

 

タスク管理システムには「実行力」はない
ただ、タスク管理の仕組み自体は自分を叱咤して無理やり実行に向かわせるような強制力はありません。そこは自分が実際に手を動かす必要があります。でも、実行できなかったとしても、やり直しが容易な環境を提供してくれます。その安心感こそが、タスク管理ツールの最大の恩恵、粘り強く取り組む姿勢を後押ししてくれる強い味方だと実感しています。

 

余談
ちなみに、自ら実行するには、義務感は大事かもしれません。仕事だからやらなきゃいけない感があるのは否めません。私にとって優先すべきダイエットは失敗ばかりです。これは、自分に義務感を与えられていないからなんだと思います。芸能人ですごい勢いでダイエットに成功する人が多いのは、それが仕事に直結するからかもしれません。

タスク分解癖を反省したときのこと

すぐタスクを分解する癖
何か業務を依頼されたとき、GTDのフローがしみ込んでいる私は即座に「求めるべき結果」と「具体的な行動に分解」するようになりました。この記事のような感じで、自動的に頭が動くようになってしまいました。

こうした月日 が、つまりはGTDの実践の日々が、私の脳をすっかり変えてしまいました。どんなことについて考えたとしても、実行可能なアクションに自動的に分解してしまうようになったのです。

至高の生産性メソッド「GTD」を10年実践してみてわかったこと | ライフハッカー[日本版]

 この引用のように、ざっくりとした話がきても必ず具体的な要素に分解してから実行する癖がつきました。

 

ロゴマーク作成の依頼
先日、とあるサービスのロゴマークを作って欲しいという依頼が偉いひとから直に降りてきました。私は法務であり、正直なぜ自分にこの仕事がくるのかと思いました。

 

以前、ライターやクリエイターを探すマッチングサービスを使用して、あるプロジェクトのパワポ資料を作ったことがありました。そのサービスをつかったことがあるから頼んできた、ということだったようです。要は頼めばどうにかしてくれそうな私に、適当な理由を付けて依頼したかったのだと思いました。

 

タスクを具体的なレベルに分解し始める
ロゴマークを作成するという慣れない仕事をするのもあり、頭の中ではタスク分解エンジンが猛然と活動をし始めました。肝は、ロゴマークのイメージをどこまで翻訳し具体的にしてクリエイターに伝えられるかだと思い、依頼主へ質問。

 

参考にして欲しいと言われたものを元に、色遣い、構成、文字は入れるのか、文字を入れるとしたらどういった内容か、そもそも文字内容をこちらで考えていいのか等を聞いていくと、明らかに困ってます。どうやら「斬新な」「フレッシュな」「近未来的な」といった抽象的な言葉を伝えただけで作って欲しいと思っているようでした。

 

反省
「クリエイターのクリエイティビティを信頼してフワッとしたイメージだけ伝える」ことに対して抵抗感があった私は、できるだけその意図とは逆の「具体的なレベルまで落とし込んでから伝えたい」という考えを持ちました。その違いが、依頼主を困らせる結果になりました。

 

慣れない領域なこともあり、どうするのが正解か分かりません。ただ、具体的なレベルまで落とし込まないといけないという「タスク分解癖」が自動的に動き出して、それを相手にも当然のこととして求めていたと思い反省しました。

 

GTDの方法論を身につけることは悪いことではありません。反射的なタスク分解癖がつくことも、仕事をやる上ではかなり助けられました。ただ、いつもその方法論でいけるとは限らないということを、身をもって体験しました。

 

こうやって書くと、ただの頑固者ですね。いかんいかん。