タスク分解癖を反省したときのこと
すぐタスクを分解する癖
何か業務を依頼されたとき、GTDのフローがしみ込んでいる私は即座に「求めるべき結果」と「具体的な行動に分解」するようになりました。この記事のような感じで、自動的に頭が動くようになってしまいました。
こうした月日 が、つまりはGTDの実践の日々が、私の脳をすっかり変えてしまいました。どんなことについて考えたとしても、実行可能なアクションに自動的に分解してしまうようになったのです。
この引用のように、ざっくりとした話がきても必ず具体的な要素に分解してから実行する癖がつきました。
ロゴマーク作成の依頼
先日、とあるサービスのロゴマークを作って欲しいという依頼が偉いひとから直に降りてきました。私は法務であり、正直なぜ自分にこの仕事がくるのかと思いました。
以前、ライターやクリエイターを探すマッチングサービスを使用して、あるプロジェクトのパワポ資料を作ったことがありました。そのサービスをつかったことがあるから頼んできた、ということだったようです。要は頼めばどうにかしてくれそうな私に、適当な理由を付けて依頼したかったのだと思いました。
タスクを具体的なレベルに分解し始める
ロゴマークを作成するという慣れない仕事をするのもあり、頭の中ではタスク分解エンジンが猛然と活動をし始めました。肝は、ロゴマークのイメージをどこまで翻訳し具体的にしてクリエイターに伝えられるかだと思い、依頼主へ質問。
参考にして欲しいと言われたものを元に、色遣い、構成、文字は入れるのか、文字を入れるとしたらどういった内容か、そもそも文字内容をこちらで考えていいのか等を聞いていくと、明らかに困ってます。どうやら「斬新な」「フレッシュな」「近未来的な」といった抽象的な言葉を伝えただけで作って欲しいと思っているようでした。
反省
「クリエイターのクリエイティビティを信頼してフワッとしたイメージだけ伝える」ことに対して抵抗感があった私は、できるだけその意図とは逆の「具体的なレベルまで落とし込んでから伝えたい」という考えを持ちました。その違いが、依頼主を困らせる結果になりました。
慣れない領域なこともあり、どうするのが正解か分かりません。ただ、具体的なレベルまで落とし込まないといけないという「タスク分解癖」が自動的に動き出して、それを相手にも当然のこととして求めていたと思い反省しました。
GTDの方法論を身につけることは悪いことではありません。反射的なタスク分解癖がつくことも、仕事をやる上ではかなり助けられました。ただ、いつもその方法論でいけるとは限らないということを、身をもって体験しました。
こうやって書くと、ただの頑固者ですね。いかんいかん。