ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

会社員が海賊王になるには

GTDの「把握」
タスク管理手法"GTD"では「まずは気になることを紙などに書き出してみよう」と言っています。でも、気になっていることって素直に書き出せるのか?というと、そうでもないかと。

 

海賊王に!?
自分はこれが気になっていると自分で自分に宣言できるか、ということです。あまりに荒唐無稽で、自分でも恥ずかしくて否定したくなるような「海賊王に、おれはなる!」的なことは、書き出すことすら困難ですよね。書こうと思った瞬間「イヤイヤイヤ、ありえないでしょ!」と思い直す。

 

自分のやりたいことが見つからないという人は、殆どこの類ではないかと思います。希望、欲望、野望を自分が勝手に生み出しているブロックから解放できず、もう1人の自分が「いいかげんにしな(↑)さい!(↓)」と、漫才のツッコミのごとく否定してくる。

 

自分によるブロックを解放する
別にそのブロックを四六時中全部取っ払おうみたいなことは思いません。そうなったら大変です。「おれはナポレオンだ」とか言いだしかねません。

 

ちょうど良いバランスの解放具合は人それぞれだと思いますが、そういった理想や夢のようなものを持ちつつ、日常のルーチンワークを確実にこなしていけている、くらいがちょうど良いのではないかと。

 

精神と時の余裕

日々のルーチンワークに忙殺されると、そんなことも考える余裕がなくなったりしますね。私の感覚では、タスク管理以前は「いかに目の前の嫌な仕事を終わらせるか」に脳内が支配されておりました。

 

これがタスク管理以後は一変します。仕事をいい時間で切り上げるのが上手くなり、さらに残している仕事について会社を出てからもあれこれ思い悩むということが無くなりました。時間的、精神的な余裕が生まれたということです。

 

そうすると、自分の脳は考えることを勝手に探すものなんですかね。そして、このブログを書いたり、イベントやセミナーを開催したりするようになりました。

 

自分にとっては、仕事でタスク管理をして、きっちり業務を遂行していながら、その他は、周囲の理解もあって割と自由にできるこの状態が、今のところの良いバランスなのかもしれないと思っています。

 

今後どうなるか分かりませんが。

フワッとした表現だけで話を終わらせてはいけない

会議運用ルール決め
時間を守らなかったり、何を目的にその会議を開くのか曖昧だったり、ということが目立つので、我が社は会議ルールを決めよう!ということになりました。

 

早速管理部門へ案出し指示があり、私まで落ちてきました。ここぞとばかり書きまくりまして、「役職・立場関係なく時間は守れ」「進行役を決めろ」「目的を最初に宣言しろ」「会議中には携帯電話に出るな」「終了時にはやるべきことを具体的に明示して誰がボールを持っているかを確認しろ」などをまとめて投げ返しました。

 

偉い人の一言で動き出す?
会議で偉い人が含蓄のある一言をいい、「なるほど!」と全員納得して動き出す、なんてのは幻想です。「石原さとみ長澤まさみが同時に告ってきたらどうするよ?」ということを真剣に討論する中学生くらい甘い。

 

フワッとした願望を言って指示した気になっていても、それを指示と受け取られないか、真意が伝わらず無駄なコミュニケーションコストがかかってしまうこと。これ、どこでもある話ですよねきっと。ウチだけじゃないですよね(すがるような目)。

 

必ず本人もしくは通訳者が、理解できるくらいまで具体的な行動に落とし込んで、手を動かす人に伝えるべきだと思います。

 

具体的な行動になかなか落とし込めなくて「そんなこと言っても、フワッとしか思い浮かばないんだよ!」「とりあえずやるべき次の一手は打てるけど、その後が分からないんだ!」となるかもしれません。

あなたが今、気になっていることを書いて見てください、といったときに「この世で果たすべき使命を達成する」と書く人はほとんどいない。それはそれでよいことだが、ほとんどの人は「プリンタを直す」「週末のベビーシッターを探す」といったことを最初に思い浮かべるはずだ。まずは目の前のことから書き出していこう。そうすれば、やがて高いレベルの目標もはっきりしてくるはずだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」)

 

具体的な行動が先まで見通せなくても、一歩一歩進むうちにだんだん霧が晴れてきて、目的地が見えてくるようなものと考えるのはとてもアリだと思います。

 

そういうときでも、タスク管理手法"GTD"の「目的を提示し、さらに具体的な行動を設定する」ということは、物事を進める基本動作として必須のことだと考えます。

赤ちゃんを見るのが先か、たすくまを見るのが先か

のきばトーク53を聴きました。

m.youtube.com

 タスク管理界の巨頭、佐々木正悟さんと倉下忠憲さんによるインターネットラジオ番組「のきばトーク」。今回は「セルフマネジメント」がテーマでした。

 

赤ちゃんを置いていってしまう問題
赤ちゃんを連れて出かけていて、車の後部座席に赤ちゃんが置き去りにされ亡くなるという事件が起きています。佐々木さんは、赤ちゃんを見る前にたすくま(タスク管理ツール)を見るのだと言います。たすくまには「赤ちゃんを連れて〇〇に行く」と書いてあるのだそうです。だから忘れない。しかし、奥様からはたすくまなんかを見るより赤ちゃんを見て欲しいと言われる。

 

そこから、会社でもよくある話として、タスク管理に時間を費やしているのであれば仕事をしなさいと言われがちなことにも話が及びました。

 

タスク管理は逃げではない
番組では、タスク管理をする(ツールをいじる、手帳に書き込む)こと自体は、社会に適応するための手段、会社においては業務に従事するために必要なことであるとの話がありました。

 

従って「仕事をちゃんとするために、『仕事をちゃんとするためのこと』をやめなさい」というダブルバインドになってしまって困るという感想を述べておられました。

 

ここらへんが難しいところですよね。タスク管理のメリットは定量化・可視化できないので、「いや、タスク管理やってるとホラこんなに!」などと深夜のテレビショッピングよろしく説得力ある実演はできない。

 

赤ちゃんか、たすくまか
赤ちゃんの話に戻すと「赤ちゃんを置いていかないためにたすくまを見るのだ」という、私のようなタスク管理実践者にとっては至極当然な、しかしそうでない大多数の人にとっては不可解な結論になります。うーん、やっぱり不可解なんでしょうかね。

 

タスク管理ツールを手放すと「5分くらいだからいっか」と置き去りにしてしまうので、「赤ちゃんを連れて行く」というちゃんとした行動をしなきゃと思わせる仕組みを作る。「いや、それくらい自分で気をつけようよ」という声もあると思いますが、「自分で気をつける」という確実性がない選択をする方が、よく考えると不可解なんじゃないかと考えます。

タスク管理者、策に溺れがち

細かすぎるマネージャ

タスク管理"GTD"では、状況のコントロールはとても上手くいっているのに、将来的な見通しを立てることができていないタイプを「細かすぎるマネージャ」といっています。

 

自分のタスクを管理し始めて、ある程度軌道に乗ってきたときに陥りがちなのがこの「細かすぎるマネージャ」です。

状況のコントロールはできているが、将来への見通しが定まっていない人がこのタイプである(表の右下のエリア)。システムや手続き、形式などにこだわりすぎている状態だ。彼らは必要以上に整理や管理をしすぎてしまい、結果として機能性が著しく低下してしまっている。

いつもこうした状態にいる人も多いが、一時的にそうした状態に陥ってしまう人も多い。あなたも、目の前にある気の乗らないタスクをいやがるあまり、身の回りのこまごまとした整理に没頭してしまった経験があるのではないか。メモを整理したり、フォントをいじったり、プリンタ用紙を補給したりして気を紛らわし、最後には「気分転換に」ソリティアで遊んでしまった、という経験がある人もいるかもしれない。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」)

 

ツールを充実させすぎた

かくいう私も、自分の作ったツールを愛するあまり(笑)、大変重いエクセルファイルを作ってしまったことがあります。なんと開くのに10分もかかっておりました。

 

それは、システムの拡充には一役買っていたものの、自分が効率良くストレスフリーに仕事をできるためになったかというとそうではなかったです。ただシステムを複雑にしただけで目的を見失っていました。

 

タスク管理をすること自体のコストをかけてはいけない

もちろん自分がしっくりくるシステムを求めるのは大事だと思います。違和感を覚えながら既製品のデジタルツールを使い続けるくらいなら、自分が思うようなデザインのツールを紙とペンで作った方が良いです。


ただ、ある時期の私のように手段の目的化になってしまっている人もいるのも事実かと思います。ピタゴラスイッチみたいな仕組み作っても、タスク管理コストがかかり過ぎて仕事を増やしてしまい、結局タスク管理をやる意味がなくなってしまうんですね。

 

ちょっと抜けてる方が可愛い

そこで得た教訓は「タスク管理ツールは、ちょっと手をかけてあげたくなるくらいがちょうど良い」というものでした。必要最低限の機能。ただそれだけで良い。

 

ちょっと足りなくて、自分がそれを補ってあげると「もー、しょうがないんだからー」的な愛着が湧き、手をかけてあげたくなる。出来の悪い子ほど可愛いというアレです。それはそれで危ないという話も(笑)

やり抜く力(グリット)から根性論を引きはがす

グリットとは?
最近有名になってきた「やり抜く力」、並外れた粘り強さと努力できる素養を持ち、自分が何を求めているのかを理解している人に共通の力のことらしいです。

 

「やり抜く」とは?
「やり抜く」ってとても身近で分かりやすい言葉ですね。分かりやすいからか、人によって解釈がまちまちである気がします。

 

まずは、目の前に大きく立ちはだかる壁を、腕力に物を言わせて、自分の100%、120%の力を出し切って動かすというイメージがあります。その一方で、最後まで段取りをきちんと詰めて完了させるという意味合いも想像できます。

 

やり抜く力という言葉には、両方の意味が含まれると思います。いわゆる「根性論」と揶揄される考え方は、前者の考え方に偏重していると思います。私は、できるだけ後者でいき最後の最後で前者、という順番が「やり抜く力」の発揮の方法だと考えています。

 

グリットとタスク管理
前者を根性論的思考、後者をタスク管理的思考とします。グリットはタスク管理的思考が9割、残りのオマケが根性論的思考だと私は考えています。

 

「粘り強く努力する力」と聞くと負荷を耐え忍びながら実行するようなイメージです。しかし、そうする前に最後まで抜け漏れなく段取りを設定でき、実行できるようにするのが大事だと思います。最初から戦術を駆使せずにあえて敵陣へ身一つで強行突破をする武将は、あまり良い武将ではないですよね。戦術を練りに練って、それでも駄目なら強行突破、という順番です。大上段から根性論を振りかざす人は、最初から捨て身の攻撃をしてしまっているということになります。

 

この「戦術」は、言い換えれば「実行できるような段取りを設定すること」だと言えます。これはタスク管理"GTD"の大事な部分である「目的を明確にし、その達成のための段取りをつける」「そして、その段取りを粛々と実行する」ということと同じだと考えます。

 

強大な負荷をかけ続けて我慢してやり遂げるのもヒロイックな陶酔感を得られて良いのかもしれないですが、それはあくまで万策尽きた時の最後の手段であって、最初から視野に入れてしまっては良くないと思います。

 

それまでは、頑張らなくてもやり遂げられるやり方を工夫する、環境を整えることを考えるべきで、それが仕事上ではタスク管理で実現できていると考えます。自分に対しても、他人に対しても、「とにかく石にかじりついてでも、成せば成るの精神で頑張れ!」とハッパをかけるのは簡単です。しかし、そんな根性論に安易に走ってはいけないと強く思います。

ビジネスマンの仕事術と障害者の支援プログラム、神経症の治療法が似ているという事実

エリートと非エリートの溝?

「エリートビジネスマンがこぞって習うという"GTD"は、その層だけにしか効果がない」というイメージがあるようです。エリートビジネスマンの定義はともかく、より短い時間でより高い生産性を実現するのは、結果的に評価されますね。

 

そこまでのレベルにない、それどころではない人たちがいます。発達障害当事者、特に私も持つ注意欠陥多動性障害を(ADHD)を持つタイプは、抜け漏れや忘れが激しく、段取りが苦手という特徴から、仕事がうまくこなせずに社会に適応できなくなってしまう事例が多発しています。

 

ここにエリートと非エリートの間に溝がある、と言われれば、殆どの人は頷くことと思います。

 

溝は本当にあるのか?
私は「本当に溝はあるのか?」と見直したくなるような事実を知りました。ビジネスマン必修(私見ですが)である"GTD"と、発達障害当事者支援プログラム"Teacch"、それと神経症患者に有効とされる森田療法には、根幹の部分で共通点があるのです。

 

共通点
それは、「目的を設定し、それまでの手順を明確にする」ということです。手順を明確にすることで、「他の手順があったかもしれない」という不安を解消し、「この手順でいいのだ!」という確信をもたらす。GTD、Teacch、森田療法に共通する効果です。GTDでは「タスクの見極め」、Teacchでは「手順の構造化」あるいは「ワークシステム」、森田療法では「(手段の目的化を避けた)目的本位の行動」という説明がされています。

 

これは私が独自に気が付いたわけではなく、先日一緒に会食をした社会福祉法人の理事の方から伺った話です。

 

発達障害って何?美味しいの?」
先日、EXP立川という障害者就労移行支援事業所でお話をさせていただきました。そこで発した言葉の中に「発達障害って何?美味しいの?」というものがありました。それくらい、悩みのタネにはなっていないということです。

 

GTDもTeacchも森田療法も、自分がやるべき物事への取り組み方は共通している。これは何を意味するかを改めて考えさせられました。結果、エリートビジネスマンと発達障害当事者、神経症患者は断絶され独立しているのではなくて、地続きなのではないかという考えが思い浮かびました。

 

もちろん「人類皆同じ」といった、頭の中がお花畑な想像をしているのではありません。現実は明らかにこの三者を区別しています。

 

ただ、GTD発達障害当事者にも、神経症患者にも、そしていわゆる「健常者」にも等しく有効であり、健常者とそれ以外の二者はそれぞれ別世界でしか生きられないわけではないと考えたとき、私はすごく嬉しく感じました。

 

この考えは、もしかしたら大きな誤解を含んでいるかもしれません。また、発達障害特性に悩んで引きこもっている人が一足飛びに高収入のエリートになれるとは思っていません。ただ、この3つ、GTD、Teacch、森田療法には共通点があるんだという事実をお伝えし、それを知って私はとても嬉しかった、ということを書きたかっただけなので、お付き合いいただきありがとうございました!

「どうも仕事が進んでいる感じがしない」は救いの神

手は動かしてるんだけど

普通に朝出勤して、いつも通りパソコンを開き、メールを見て、やることを確認して、いざ仕事に取りかかる。毎日のありふれた光景ですね。私も毎日ここから始まります。

 

仕事中、「今日はなんかうまくいかないな」「進みが遅いな」と思うときがあります。目の前に仕事という大きな岩があって、押しても少しずつしか動かないという徒労感に襲われることがあのです。

 

お決まりのパターン

以前の私であれば、「なぜだ!?」と焦って頭の中がそれだけで真っ白になってしまっていたことでしょう。そんな馬鹿なと思った方は幸せな人です。本当にこの程度で私の心は千々に乱れていたのです。

 

しかし、今はもう焦りません。「なんかうまくいかないな」というアラートが上がってくるときのお決まりのパターンとして認識しているからです。どういうパターンか。

 

①タスク管理ツールに入力せずに仕事を始めてしまっている。

 

②そして別の割り込みタスクが入って、①のタスクをいったん手放し、割り込みタスクの方に手をつけている。

 

これです。このパターンであることがほぼ9割がたです。そして、この状況に陥っているときにアラートが自分に上がってくるのはとても良いことだと思っています。

 

無防備過ぎる人たち

アラートが上がってくるのが良いとは、一体どういう了見なんだ?とお思いかもしれません。タスク管理をしていないと、このアラートすら上がってこないのです。私から見れば大変危ない。このまま見過ごしていたら、①のタスクをやり忘れます。「あ、忘れてましたぁ〜。テヘッ」で済めば良いのですが、そうもいかないときもありますね。

 

アラート体制作り

アラートが確実に上がってくるような体制を作ることの大切さはお分かりいただけたことかと思います。では、そのためにはどうすれば良いか。一言でいえば「タスク管理をする」です。

 

「タスク管理をする」だけだと具体的ではないのでもっと落とし込みます。一番大事なのは「発生する仕事を頭の中に留めず、全部書き出す」ということに尽きると思います。

 

アラートを発してくれる「タスク管理」システム"GTD

タスク管理、特に私がお勧めする手法"GTD"では、上記の行動がまず第一とされています。書き出せていないと「あれ?なんかうまくいっていないぞ」と思うようになり、アラート機能を発動してくれるんですね。

 

「どうもうまくいかない」は、一見するとネガティブな心の動きですが、実は自分をミスから回避させてくれる救いの神です。信じるものは救われる、とまでは言いませんが、私はGTDのシステムを信頼し、その結果大変助かっています。よろしければ、是非ご一緒に。