ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

「詰めが甘い」メカニズム

詰めが甘い人
他人事のように言っていますが、私がそうでした。終わりが見えてくると「もういいかな」と思ってしまい、その時点でやるべきことをしないでやめてしまうのです。別に誰かから「もうやらなくていいよ」と言われていないのに。

 

サーキュレーター設置の話
東日本大震災の後、節電のために社内に複数のサーキュレーターを置いたことがありました。冬になったら要らないだろうということで、何か月間かのレンタルをしたと記憶しています。

 

設置して終わった気になってしまう
どのサーキュレーターにするか、フロアのどこに設置するかということを決めるのにもヒイコラしてしまい、サーキュレーターが会社に届けられて設置し終えると、もうほぼ仕事は終わったという気分でした。

 

充実感に浸るのはいいのですが、数か月後、具体的に何月何日に引き取り業者の方が来て、そのためにはあらかじめ配送された際に入っていた段ボールに入れて返さなければいけないという決まりがあり、それは確実にやりおおせなければなりません。

 

引取りの日をちゃんとカレンダーか何かに書いて、それまでに段ボールに入れて引き取り業者さんに「はいこれです」と渡さなければいけないわけです。書けば簡単なことです。しかし、一度設置したらもう満足してしまい、まだ残っているとは思いつつ、面倒臭くて手をつけないでそのままにして忘れてしまっていました。

 

そして引き取り時にあわてる
そんな状態なので引き取り業者さんが来た時に「あれ、なんだっけ?」という有様でした。「なんで渡す準備をしていないの?」と同僚や上司に叱られ、かつ叱られながら、引き取り業者さんの冷たい目線の中、段ボールを探して(そう、どこに保管したか忘れているのです!)梱包して渡しました。詰めが甘いですね。

 ただ、ふつうの人は、「プロジェクト」は何かと考えたときに、すぐに浮かんでくるものよりずっと多くのことを心に抱え込んでいることがしばしばだ。これらについても見極めて意味を明らかにし、整理していくことがとても重要だ。
例えば、引っ越しのあと、まだ片付いていないものがあるという人は多いだろう。このような人たちは、引っ越しを完了させることがプロジェクトとして残っており、それに注意が削がれているのに気づいていないことも多い。
(中略)しかし、これらを「プロジェクト」として認識し、それに対して適切に注意を向けていこうとしている人はなかなかいないものだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」より)

 

「詰めが甘い」人の甘くなるメカニズム
常時頭の中で思い出して「やらねば!」とできるひとはほぼいないです。引っ越しの片付け、段ボールが残っていつつも手をつけない。書き出して、それを見て1つ1つ実行していくとその先にやっと「完了」がある。しかし「引っ越し後の片づけ」を構成する「段ボールを潰してまとめる」「ごみ捨て場に出す」といった細かい作業がイメージできず、放棄してしまう。これが「詰めが甘い」のメカニズムです。

 

まだ詰めが甘いかもしれない私
今朝、浴室の時計の電池を買いました。ただ、「買った」で終わっては詰めが甘い。買った電池を時計にはめて、時計を浴室にセットするまでしてやっと完了です。帰宅してこれができるか。この差が詰めが甘いかどうかの分かれ目です。