思考がGTDに操られる快感
上司に言われてフリーズする言葉の一つに、
「だから、どうしたいの?」
というのがありました。
類似語に「何を言っているか分からない」など。
言っている本人の意図はともかく、言われた私は全人格を否定されているような気がして、それだけで頭が真っ白になり何も言えなくなっていました。
GTDの基本原則のひとつに、
すべての「気になること」に、理想とする結果と次にとるべき行動を決める
というものがあります。
つまり、すべての「気になること」に対して、その結果をイメージできないといけない。
「どうしたいの?」という質問に対して「こうしたいんです」と答えられるようにならないといけない。
タスク管理、特にGTDを実践している人にとって理解し辛い話ですが、結果をイメージせずに仕事に着手する場合があるようです。冒頭の私のように。
どんなものであれば、GTDを実践していると、発生したタスクをツールに記録するときには、否応無しに「そのタスクを完了した結果」を意識せざるを得ません。というのも、タスク名そのものが、そのタスク実行の結果であることが多いからです。
例えば、AB商事という客先への営業用説明資料を明日の15時までに作ってくれという仕事が舞い込んできたとしたら、タスク名は「AB商事様向け営業用説明資料作成」といった書きぶりになります。
ツールにタスクを落とし込むために、そのタスクを言語化する必要があるのですね。
逆に、そのタスクの結果がイメージできないような曖昧な指示は、具体的になるまで訊くようになります。そうでないとタスクとして登録できないので。
例えば、「なんかこう、バーン!と新しい人事制度作って」と言われたとしたら、「はい。バーン!っていいですね(笑)どういうイメージですか?」等と、自分が納得いくレベルまで具体化して、とりあえずその仕事を引き受けます。(それが難しい時もあるかもしれませんが)
といった風に、GTDの基本原則に従わないと仕事が進められないような状況に自分を置くと、そのタスクを実行した結果をイメージできるようになり、より容易に仕事を進められるようになったと感じています。
自分の思考のためにGTDを利用するのではなく、次第にGTDの方法論が自分の思考を侵し始めてしまいました(笑)これ、悪くないと思っています。