ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

カレンダーの恩恵

カレンダーを見ない日はない

ふと気がついたのですが、カレンダーが部屋にありながら見ない日は無いですよね。むしろ無いと「なんで無いの?」というくらいに、カレンダーを見ることが習慣化されている。

 

これって凄いことなんだなと思います。カレンダーほど「確実に」「毎日」「頻繁に」見るものはないと言っても過言ではないと思います。

 

カレンダーは、心を外部に拡張した自己管理システムの最も典型的な例と言えるかもしれない。リラックスして考えることを助けてくれる同種のものは、他にもたくさんある。高速道路に標識があることで、私たちはどこで降りるかを気にすることなく運転できるし、ダッシュボードの計器類のおかげで、給油のタイミングを知り、車の異常に気づくことができる。これらのシステムには基盤となる仕組みが存在し、私はそれらを信頼することで安心して生活できているのである。

カレンダーや交通標識と違い、より曖昧で複雑な大量の情報をさばく方法は、自然には身につかないようだ。しかもこうした変化を要求する事柄はその量もスピードも増大する一方である。だからこそ、「水のように澄んだ心」を実現してくれるGTDモデルの仕組みを理解し、実践していかなければならないのである。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」)

 

カレンダーに書いておけば間違いない!

カレンダーの話を続けます。カレンダーの恩恵に気がついていない人は多いような気がします。これほど習慣化された、確実なリマインドの仕組みはないと言えます。カレンダーを見忘れた!ということはあまりないのではないかと思います。


交通標識の話も出ています。一切の交通標識がなかったとしたら、行き先の案内などは覚えてから出発しなきゃいけないですね(スマホやカーナビがあるじゃないか!という話は、まぁ、置いといて下さい)。交通標識があれば、チラリと目をやりますよね。私免許を持っていないのでここらへんあまり実感がありませんが。これもまたドライバーに必要な情報を提供してくれる非常に信頼できるシステムです。


つまり、カレンダーや交通標識の類がなかったら生活できない、ということです。

 

仕事でも「信頼できるシステム」は必要なんじゃないですか?

カレンダーに〇〇記念日とか書くように、仕事もその日やるべきことがどこかに書いてあって、それを確実に自分が見るという心強い仕組みが必要だということはお分かりかと思います。〇〇記念日だけでも頭の中だけで覚えきれないのに、複雑極まる仕事タスクを頭の中だけに任せていられるでしょうか。

 

我々はそういった情報の管理を外部に依存すべきなのに、なぜか仕事については大丈夫だと思って自分でどうにかしようとしがちです。カレンダーや交通標識には頼るのに、仕事の話は、後で見るかどうかも怪しいチョチョチョッと落書き程度にしたメモや自分の頭のみでオーケー!ということ。どれだけおかしな状況か分かりますでしょうか。

 

仕事のタスク管理も、例えば昔は一本道で交通標識は不要でした。今は縦横無尽に道が走っていて交通標識無しには走れなくなっています。だから今は交通標識は必要。タスク管理のツールに記録を残さずに仕事をすることは、丁字路や十字路が来るたびに止まって周りを確認して地図を広げてまた走り出すようなものです。

 

カレンダーほど、それを見るのを習慣化するのは少々根気が必要ですが、そうでもしないとあっという間に自分が今何をすべきか見失ってしまう。仕事が複雑化した現代はそんな恐ろしい状況であることは身にしみて感じています。